無理解は一人で生きる覚悟をくれるチャンス

 思えば子供の出来ない優しい伯母を親戚がネチネチいじめていた時から私は違うと思っていました。
ただ、世間というものには私の親戚と同様の考えを持つ人がとても沢山います。
だからと言って、私は結婚や出産を否定的にも捉えていません。
私の友人にもちゃんと結婚して、子供が居て、幸せな人も沢山居ますし、そういう幸せもあるのは理解しています。

 でも税金を納め、若い人達を育てることに参加している人達にも、一人で幸せに生を全うするという選択があっても良いと思うのです。
私の思い上がりでしょうか?

 私がニューレディーと名乗るのも、新しさが意味する何かに期待をしているからです。
今無ければ、新しく作れば良い。

 そんな覚悟と決意を固めた年始でした。
改めて壁になってくれている母に感謝です。

Text/肉乃小路ニクヨ

次回は <自称・尽くすタイプの女の傲慢さはどうしたらいいか>です。
尽くすことを至上の喜びととらえ、彼氏や彼氏未満ヒモ以下の男の人に家事をしてあげたり、ごはんを奢ってあげたり、現金を手渡したりしていませんか? でもそれは本当に好きな人のためになっているのでしょうか? 友達に「あたしって尽くすタイプなんだよね」と自虐トークするのが、本当は気持ちよかったりしませんか?