ひとりで死んでいくとしても、それが課題

私は今生ではゲイとして生まれて、将来子孫や家族を残さず、
40歳にもなって、パートナーもいないので、
もしかしたら、このままひとりで死んで行くのかもしれません。
でも、それはそれで意味のあることだと思っています。

「愛を学ぶために孤独があるなら、意味の無いことなど起こりはしない」
と平原綾香さんが歌う「Jupiter」の歌詞にありますが、
もしかしたら、そういう課題を与えられて、それを考える人生が
自分の今生なのかなとも思っています。

だから、あれこれ考え過ぎず、欲張り過ぎずに、
粛々と目の前の事実に向きあって、
不思議な巡り合わせのご縁や恩を大切にしつつ、
勉強しながら生きていこうと思っています。

欲張り過ぎず、投げ出さず、長い目で考える

苦しいと思ったら、
欲張り過ぎて荷物を持ち過ぎて溺れかけていた
ということはよくあります。
今生だけで何もかも終えようとせずに、
自分の課題を見つけて、それと向き合い、
できないことや、足りなかった場合には
やれるだけやって、また来世で続きをやればいいや
と思うことで、
だいぶ気持ちは軽くなります。

かといって今生は辛いのでそこそこにして、
早く来世に行けばいいということではありません。
私は課題をきっちり終えずに立ち去る人間が好きではありません。
生きている間に与えられた課題には、それなりの意味があると思っています。
その課題に向き合わなければ、来世でも同じ課題にぶつかるのだと
冷ややかに見ています。
だから、どうしても、自死ということが理解できないのです。

ただ、これも押し付けではありません。
あくまでも私が自分なりに作った法則や世界観です。
前世も来世も科学的にはありません。

でも、科学的なことばかり言っていたら、
人生って味気ないものになるでしょう。
ふふふ。

今日は私の不思議ちゃんな部分を披露しました。
この所、立て続けに法事があったせいかもしれません。
そういう不思議な部分もチャーミングにお話できるレディーに
なりたいものですね。

Text/肉乃小路ニクヨ

初出:2015.11.03