他人からの愛情の恐喝
けれども、待合室で遭遇したジイサンのように、まるで知らない他人が、思い込みだけで悪気なく「母乳が~」なんて言ってくるもんですから、「どうやって育てようが、お前には関係のないことだろう」と苛立つばかり。
母乳ミルク問題に関わらず、こういう出産・育児には「お前には関係のないことだろう」という口出しが多々あります。少し前に話題になった無痛分娩ディスもそうですし、ベビーカーを使うことに関しても「抱っこじゃないと、愛情が~」と言う人がいる。なぜ少しでも楽そうに見えるほうを選ぼうとすると、とたんに愛情不足を問われるようになるのか。
母乳育児を礼讚する人は母乳で育てられたい人、無痛分娩にケチをつける人は、自然分娩で産んで欲しい人、ベビーカーの文句を言う人は、ずっと抱っこされていたい人。どちらにしても、人の子育てに口を出すのは、「自分がそうされたい」という思いからです。
実際に母親に自然分娩や母乳育児や抱っこばかりで世話してもらった記憶を愛し続けているマザコンかもしれませんし、反対に、望んでいたのに与えてもらえなかった渇望を抱えているのかもしれません。
けれど、あかちゃんに戻ることが出来ない以上、それは叶わぬ夢です。女ならば、自分が子供を生むことで、その夢を自分が叶える側に回ることもできますが、ジイサンには不可能。そう思えば「ああ、気の毒」とやり過ごすことが出来るというものです。
例えば恋愛においても、俺に食わせる飯が手作りじゃないのは手抜きだとか、大人の女に門限を決めて守らせるだとか、そういう愛情の恐喝をしてくる人がいますよね。けれど、愛し方は自分で決めるもの。愛され方の不満は、不満を持つ方に問題がある。「与えられないわたしが、愛情が薄いの?」なんて気にすることはまったくないと思うのです。
Text/大泉りか
次回は<別れてくれない元恋人と新しい恋人との台湾旅行…彼はわたしが壊したんじゃなかった>です。
2009年、台湾。そこは大泉さんの人生が大きく変わることとなった土地でした。結婚寸前で破局、なのに元恋人がなかなか別れてくれないという問題を抱えていたのに大泉さんがつらくなかったのは、新しい男性がいたから。元恋人ともなかなか行けなかった海外旅行でしたが、その直前に届いたメールに書かれていたのは……。