無駄にした「青春」を取り戻すために
束縛したがりの恋人と別れたわたしは、それまで大人しくしていた借りを返すかのように、熱烈に遊び始めました。
キャバクラでのバイトを復活させ、週末は六本木のクラブに通って踊り狂い、テキーラを飲んでグデグデになって吐き、そこで知り合ったよくわからないけどお金だけはあるオジサンたちに連れ回されて何軒もハシゴして、山頭火でしめのラーメンを啜る。
1年ほどの間、無駄にした青春を取り戻そうと必死でした。
刺青を入れたのもこの頃です。
半分入れたところで「やっぱ止めてください。痛くて無理です」と根をあげてタトゥーアーティストの人に呆れられながらもなんとか完成した小さなタトゥーは、趣味も嗜好も青かったこの頃に選んだモチーフだもんで、ババアになった今は恥ずかしくて仕方がありません。
背中に羽根ですからね!
そんな中、わたしにひとつの出会いが訪れました。
その出会いはその後のわたしの人生を変えたといってもいいかもしれません。
SMとの出会いです。
そもそも、物心をついた時から本を読むことが好きでした。
というか、ファミコンもビデオデッキもなく、テレビもリビングに一台のみ。
三人きょうだいのためにチャンネル争いが熾烈だった我が家で、自分のペースで楽しめる娯楽というものは本しかなかったので、とにかく幼い頃は、家の中では、文字ばかりを読んでいました。
父親は出版社勤め、母親も元漫画の編集者だったので、家には書籍がたくさんありました。
本の中でも、とりわけ興味を引かれるのは“肉体”。
それも“下半身”に関して書かれたものでした。
といっても、両親は注意深く、性的な事柄が書かれた書物を家の中に持ち込まないようにしていたので、以前にもここで書いた、女性誌に掲載された体験談を集めた『淑女の雑誌から』というページのある『週刊文春』は我が家にある貴重なエロ資源でした。
ある時には、下半身的読み物に事欠いて、『家庭の医学』に手を出し「そんなもの読むと、どこか病気があるって心配になるだけだから辞めなさい」と呆れられていた幼少期を経て、自分で図書館に足を運べる年齢になった時は感激でした。
両親の検閲なしに、置いてにあるどの本を読んでもいいのです。
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