自分の市場価値を悟る人、悟ろうとしない人
そもそも高望みという言葉は『岩波国語辞典』によると「自分の身分や能力を越えた事を願う望み」のことを指します。
若いうちはなかなか「自分の身分や能力」(=スペック)などを客観的に見ることはできません。
一方で年を重ねて経験値が上がれば、自分のスペックに薄々気づくようになります。
これは「自分の市場価値を理解する」ということでもあります。
これまで交際してきた相手をひとりずつ具体的に振り返ってみて、「弁護士と結婚したいけど無理かな」とか「大手IT企業の社長を落としたいけど無理かな」などと認識できるようになるわけです。
現状の自分と過去の交際相手を重ねて考えたときに、数段、いや数十段高い男性を望むのは、さすがに難しいのではと理解した上で次へ進まない限り、延々と高望みスパイラルに陥ることになります。
しかし、自分の市場価値を認識しないあまり、脱出不可能な迷路をさまようことになる人もいるのです。
とくに10代〜20代後半まで恋愛に苦労することなく、恵まれた恋愛環境下に置かれていた女性にその傾向は顕著に見られます。
彼女たちの恋愛像は当時の「黄金期」のまま凍結されていて、「今まで私は理想の男性を落としてきた。だからこれからも妥協はできない」と岩壁よりも固い決意を持っています。
実際に私の周りにも若い頃にそこそこモテたまま、「付き合う男性のスペックへの向上心」を持ち続けて、30代半ばを迎えた女性がいます。
彼女は美人・普通・不美人で振り分けるならば、確実に美人の部類に入ります。
しかし今やパートナー不在で絶賛婚活中の身。
士業に従事する夫を持つ知人女性に対して「あなたの旦那さんの友達を紹介してほしい」「合コンを開いてほしい」と懇願しては、連れて来られた男性を厳しくジャッジ。
「弁護士なのはいいけど身長がちょっと……」「公認会計士でも顔がちょっと……」と安定感のある職業だけでは満足せず、外見で点数を付けては文句を垂れるのみ。
彼女は一体どのような男性を求めているのか、彼女が求める隙のない完璧な男性はこの地球上に実在するのか、首を傾げたくなります。