セックスがコミュニケーションのひとつと呼ばれるには理由があってだな…

「付き合ってくれるの?」に象徴されるように、多くの女性はセックスをクライマックスの一大イベント化している。
同時に、俺は女性が”セックスを受け入れた時点”で「自分から離れないこと」を期待しているように思います。
離れたら裏切り、ヤリ捨て。

反面、ある程度女性慣れしている男性は「一夜の思い出すべて」で女性を判断したいと考えています。
それは体の相性という直接的な意味もありますが、ずっと一緒にいて心地よくいられるかという意味です。
だからこそ、セックスをした途端に「すべての私を受け入れて!」「これで私のもの!」って私全開ノリがくると「うーむ。。」となってしまう。

俺はアラサー世代の恋愛においてセックスの位置づけは、通過儀礼のひとつくらいに捉えるのが良いと思う。
大事なんだけど、それ自体は大事じゃない。
ある意味では決定打なんだけど、関係が確定するものではない。

そのくらいの位置づけじゃないかと。
深く関わることのパスポートはお互いに取得はしたけど、本当に今後良い関係を築けるかはお互い次第ということです。

セックスはコミュニケーションのひとつとよく言われますが、「濃厚なおしゃべり」として受け取ると分かりやすい。
深い関係になろうとするなかで深い話もできるかを試みるでしょう。
そうしたもののひとつしてセックスがある。
それを含めた一連のやり取りのなかで好き嫌いのジャッジがなされる、そんな位置づけなんだと思います。

ちょっと女性からすると納得しづらいかもしれない。
だから少し視点を変えてみますが、女性は男性に対して「女の人の扱いには慣れてるけど、一途な人」を求めますよね?
女性に慣れていない人はやさしくても「なんかヤダ」。
かと言ってヤリ捨てするような人は「ぜったいヤダ」。
ある程度は女性経験が豊富で、女性にそれほど困っていない人が自分の恋人にしたいターゲット層になるはずなんです。