良いと思っていた彼は「どこにでもいる人」

俺らは人間だからイヤなことがあったらそれを避けようと学習する。
そして、社会的な位置づけに組み込まれざるをえない存在でもあるので、他人の目を完全に無視するのもまちがっていると思う。
けど、負を排除する/社会的価値=他人からの評価という外的要因が先行した恋愛をしている人たちは不幸になると思う。
少なくとも恋愛のスタート地点の発想として、それを選ぶのは間違っている。

この2つの共通点は「自分で決めていないこと」です。
一見、1つ目は決めているようで「イヤな思いをもうしたくない」というネガティブで外的な要因からきています。
(処世術としてはまちがっていないと思いますが)

正論でしかないかもしれないけれど、俺は「自分は何を幸いとするのか」という観点が非常に重要だと考えている。
恋愛でも仕事でも。
それが出来ないかぎりは同じような人と同じような恋愛をする、たらい回しの恋愛地獄からは抜けられない。

「やさしい」「イケメン」「お金持ち」「一緒にいて落ち着く」

結構、結構。
けど、目の前にいる彼よりももっと優しくてもっと落ち着く存在はどこかにまちがいなくいる。
だってそんな基準は代替可能なものだから。彼じゃなくていいでしょう。
逆に言えば、あなた自身も代替できる他の誰かでもいい存在なのかもしれない。

恋愛の真実のひとつに「(一定の基準を満たしていれば)結局は誰であってもいい」ということがある。
いま言ったようにほとんどの要素は代替可能だからだ。
そこで重要になってくるのは「もしかすると誰でも良いかもしれないなかで”あえて”決める」ということ。