「ふたりでひとり」と「ふたりでひとつ」は全く違う
この微妙な違いを伝えるのはすごく難しいのだけど、「ふたりでひとり」のような感覚を持っている(共依存)恋愛と「ふたりでひとつ」という感覚の恋愛はまったく違う。
前者は、お互いの欠けている部分を補完しあっているので一見素晴らしいのだけど、微妙な角度で成立している積み木のようなもので、どちらかの人間的な成長とか感性の変化で容易く崩れる。
また、自分の望んでいる要素を満たしてくれないことが不満に直結する。
後者はそれぞれが個として成立していながら、一緒にユニットとしてやっていく楽しみや喜びを知っているというニュアンス。
自分ひとりだけでやっていけるんだけど、ふたりでいるともっと違うものがあるよね?という感覚。
厳密にはどっちかに分けることなんて出来なくて、前者に後者的な要素が入っている人や、後者に前者的な要素が入っている人もいるだろう。
だけど、俺が理想だと感じる恋愛は「ひとりでやっていけるけど、だからこそふたりで一緒にいることに意味がある」と思えるものだ。
人間だから「寂しい」と思う時があったとして。恋人を寂しさを埋めるための存在と認識するのと、自分で何とかしようとしながらも恋人が自分からそう思わせないように気遣ってくれるのでは、質が違う「寂しさの埋まり方」でしょう。
もし理想の相手が分からなくなってきている人がいたら、「気になる」や「好み」にこの視点を取り入れてみてほしい。
まず自分が「個」としてちゃんとあろうとすること。個の欠落を埋めるために他者を求めようとしないこと。
自分の未熟な部分を恋愛で解消するのではなく、自分の人生の問題は自分自身で解消しようとすること。
この前提の上に、「一緒にやっていくともっと素晴らしい人生が送れそう」だと思える相手を見つける。
そのほうが健全だし、相手のことを純粋に想えていると思うよ。そして絶対に上手くいく。