事故未遂の恋は忘れられない

客観的に考えると、イケメンなわけでもないし、性格が良いわけでもセクシーなわけでもなく、私のことを特に好きというわけでもない。私の好意に気づいていながら自分から好意を伝えるわけでもなく、ただ「おれのこと好きなんだと思ってた」とか言う、どちらかといえば意地悪な男だと思う。そんな人と恋愛関係になったり、万が一結婚なんかしたとして、幸せになれたかと考えると、疑問ではある。そんな人を忘れられないのは、なんでだろう。

忘れられない恋って、もしかすると、その人がどんな人だとか、どれくらい好きかとかよりも、自分がその人に対して納得できる行動ができたかどうかが決め手になるのではないか。私の場合、チャンスはあったにもかかわらず、自分が何もできなかったという心残りが、彼に対する未練になっている。

もっとちゃんと事故るべきだったのだと思う。私は友人に「当たり屋」と言われるくらい、恋愛の衝突事故を繰り返してきた。気持ちを伝え、思いのままに行動し、加速していく。そういう「事故」はいい思い出になるが、事故未遂には未練が残る。

忘れられない恋は人生のほのかな希望

彼のことを好きだった10代のころ、自分は25歳くらいで死ぬと思っていた。決して死にたいというわけではない。25歳以降の自分が恋愛しているところを想像できなくて、「25歳で結婚して穏やかなお母さんになる or Die」みたいなふうにしか考えられなかったのだ。結局、婚約は破談となり、好きな人にも好きと言えなかった私は、30代になっても普通に生きている。人生は意外と長いし、イージーなハッピーエンドなんて存在しないのだとわかってきた。

実は最近は「未練がある」というのも悪くないなと思っている。すべて片付いた人生なんてつまらないし、未来に可能性が残っているという意味では、恋愛事故未遂は、ほのかな希望でもある。秋の夜長に、小説を読んだり、彼の言葉を思い出したりする。ハッピーエンドなんか存在しない。でもだからこそ、物語に思いをはせるし、恋愛を繰り返すのだ。

Text/雨あがりの少女