“女”を喜ばせる方法

二軒目は日本酒のお店で、いよいよじゃねーかって雰囲気の店だった。店内が前戯臭い。正確には「前戯」の前戯って感じで、こういういかにもな雰囲気に頼ろうとする二太郎さんは自信がないのだろうか。好きならそこが道でも沼でも口説けよって話である。

「やっぱモデルさんってかっこいいね」
「え〜いや、私は全然」
「いやかっこいいよ。顔ちっちゃいな〜」
「いやいや」

褒めてくる。しかも、別に褒められても嬉しくない箇所を的確に。二太郎さんの中にはきっと「女性のこういうところを褒めた方がいい」みたいなメソッドがあるんだろう。それにピンと来ない私は、女性として間違っている、なんてことはない。わかっているけれど、男性から手渡されるお馴染みの褒め言葉に頬を染められないことが苦しかった。同時に、出会った時の二太郎さんの優しさも思い出す。「気を使わなくていい」って甘やかしは「何もしなくてもいい」と似ている。その事実に急激に自尊心を削がれる。

「いつから彼氏いないの?」
「半年くらいですかね〜二太郎さんは?」
「俺は二年くらいいないんだよ」
「あ〜結構ですね」
「そうそう、だから欲しくてさ」
「欲しくなりますよね〜」
「どういう人がタイプ?」
「ん〜やっぱ気が合う人ですかね」
「ahah!だよね。俺も」
「あはは」
「短ちゃんみたいな子がいいな」

ピキリと背中が軋む。

「年上ってどう?」
「背高い人が好きとかあるの?」
「あ〜話し足りないね」

あらゆる角度から、こちらの感情を誘導するみたいな言葉が飛んでくる。私の体に、二太郎さんの色をしたペンキがかけられて、どんどん自分が変わっていくようだった。今二太郎さんの前にいる私は私じゃなくて、二太郎さんの好きな、二太郎さん好みの私だ。本当の私は、こんなに行儀良く相槌を打たない。前戯臭い店で石橋を叩いたりもしない。誰かに思われるということは、こういうことなんだろうか。二太郎さんは、私のどこが、どうして、どんな風に好きなんだろう。

自我のちゃぶ台返し

ラストオーダーの声がかかった時、ついにあの言葉が出る。

「うちで飲まない?」

知ってたよ。お前のそのやり口は全て、どこかで見たことがある。
「どこかで見たことがある」そういうことに染まってみたかった。「ヤっちゃった〜」みたいな夜は、往々にしてそういうものだと思うから。知っているのに知らないふりをして、わかってたのに大袈裟に驚いて、そんな風に二人で、わざと遠回りに作られた一本道を歩く。ゴールに家があることを知りながら、この道はどこに続いているんだろうねと話し合う。そういう、クソみたいにくだらない不毛な時間を夜と呼ぶのだ。

私は「いいですよ」と頷く。大人の女みたいに小さな声で、いろんな意味が詰まっている「いいですよ」を発語する。これ見よがしに会計を済ませて「ahaha」をかます二太郎さんにお礼を言って席を立つ。コンビニに寄って、駅と逆方向に歩き続ける。二太郎さんが何か話している。私はずっと、二太郎さんで変形した自分の輪郭をなぞっていた。私ってこんな形だっけ? と思いながらも足は止めない。ようやく家に着いて、ドアが開いて、靴を脱いで、畳の上、いつでも触れられる距離に腰を下ろした時。最悪のタイミングで自我は目覚める。

「すいませんやっぱこれ違いますね」
「え?」
「なんかこれ、あれ、違いますね」
「何が?」
「いや〜…すいません」
「え?」
「すいません違いましたこれ」

ひんやりした畳が温まる前に、私は立ち上がる。二太郎さんは驚愕していて座ったままだ。

「え、どしたの?」
「帰ります」
「え? え?!?!」
「マジですいません。ほんとすいません。ちょっと、すいませんでした本当に」

バタバタ玄関に向かう私を、ようやく事態を飲み込めた二太郎さんが追いかけてくる。

「え、俺なんかした?」
「いやほんと何もしてないです。私がちょっと、クソです」
「え、大丈夫だよ」
「いや〜すいません」
「てか終電ないでしょ?」
「ないけどいけます」
「いやいやいや」
「あとこれお金」
「いやいらないよ」
「いややっぱ変なんで」
「違う違う待って」
「すいませんでした!!!!!!!!!!!!!!!!!」

深夜の住宅街に響き渡る私の謝罪。この声量。そうだよこれだよ。私はこういう人間だ。私の声は大きい。私の自我は強い。私は、ヤっちゃえない側の人間だ。残念だけど、どうしてもヤっちゃえないのだ。聞いたことある褒め言葉も、見たことある二軒目も、私は楽しめない。どうしても楽しめない。奢ってもらうことも、気にしなくていいよと言われることも、肌に合わない。だって、私はできる。私はお金を払うことも、人に気を使うこともできる。あなたがやってくれなくても。できることはやりたい。そういう人生がいい。その上で、嘘偽りのないセックスがしたい。

ここまでギリギリの瀬戸際に立たないと、自分のことがわからないなんて。あぁ二太郎さん、本当にごめん。最悪のタイミングで帰ってマジでごめん。二太郎さんは何も悪くない。この世界にはきっと、二太郎さんの「ahaha」がきちんと「アハハ」に聞こえる人もいるはずで、貴方のメソッドを好む人もたくさんいる。だけど私は違ったの。誰かみたいになろうとしたけど、私は私でしかいられないから。

後日、女友達にこの夜の話をしたらめちゃくちゃ笑われたあと「お前は最低の女だ」と言われた。その笑顔を見ると、ここ以外で起きたことなんて私たちの友情にはまるきり関係ないことがわかる。最低でも最高でもうちらはダチで、だからもう生贄なんて捧げない。

TEXT/長井短

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