意味はないけど見ておきたかった、あなたのガラケー/長井短

新連載が始まるよ〜!

子供の頃から今日までずっと、アホほど沢山の恋愛を見聞きしてきた。テレビをつけても本を読んでも、学校で友達と喋っても恋愛が出没する。こうも沢山聞いていると、良い出来事にしろ悪い出来事にしろ、自分も経験しておいた方が良さそうだな?と感じる鉄板展開みたいなものができてきて、阿呆の私は丁寧に丁寧にその王道パターンをなぞろうとする。くだらない失敗とか、ありきたりだけど幸せな瞬間を通り過ぎて、もうすぐ三十歳になるのであります。

物語や友達に感化されて、押したくもないのに押してしまった経験値のスタンプは、確かに私を成長させたし、今となっては全部良い思い出だけど、これから先の人生にはもう、人の真似っこなんていらなくて、私は私なりの恋愛をしたいのです。

「さよならありがともうマジでバイバイ」

くだらない真似っこ遊びに夢中だった全ての私に別れを告げる連載を始めます。

死ぬまでに一度は見ておきたい、恋人の携帯

一太郎の携帯を見てしまったのはとても寒い日で、誰かの携帯を盗み見たのはこれが最初で最後。どうして見たくなったのか、理由はあんまり覚えていない。人はどうして恋人の携帯を盗み見るんだろう。やっぱり、浮気を疑って見るんだろうか。当時の私には、一太郎の浮気を疑う気持ちなんてこれっぽっちもなくって、だから本当に、出来心。やってみたかったのだ。人生において「恋人の携帯を盗み見る」というのは、押しておいた方が良いスタンプな気がした。みんなやってるし。見たあと大喧嘩した愚痴、散々聞いてるし。私もそろそろ、その愚痴を言う側に回りたい。「ねぇ聞いて〜!彼氏の携帯見たら最悪だったんだけどマジ別れる〜」言い終わりで生ビールをグビリといけば、少しだけお姉さんになれる気がした。

一太郎がお風呂に入っている間、薄いシングルベッドの上にポツンと置かれた携帯電話を手に取る。狭いワンルームの真ん中で、奥のお風呂場から聞こえてくるシャワー音に耳をそば立てながらそっと携帯を開いた。少しでも出てくる気配がしたらすぐに元の位置に戻せるように、私はお風呂場に背中を向けてベッドに座る。まだ少し不安だから、つけっぱなしのテレビの音量を3つ下げた。初めてなのにどうしたらいいか体が知っていて、私は前世でも恋人の携帯を盗み見たのか?それとも、年頃になった人間には自動的に「恋人の携帯の見方」がプログラムされるんだろうか。

ガチャガチャとシャンプーボトルをいじるような音に耳を傾けながら、メールの画面に直行。最近誰と連絡を取っていたのかを盗み見た。ドキドキ。スパイみたいだ。できることならこの携帯のメモリをまるっと抜き取って今日は実家に帰りたい。そうすれば、気兼ねなくデータの中を彷徨えるのに。私は当然スパイじゃないからそんなことはできなくて、ただ黙々と携帯をいじる。できるだけ、ボタンの音が鳴らないように、下向きの三角ボタンをゆっくりと押し込んだ。

この人は知ってる。この人は知らないけど男。この人も知ってる。セオリー通りの展開は一向に訪れなくて、なんだ。現実ってこんなもんかつまんないのと思った瞬間。登録されていないアドレスからのメールが出現する。ん?迷惑メールか?でも件名には3つの「Re:」が付いていて、違う。これは生身の人間だ。一太郎は、登録していない人間と3度もメールのやりとりをしている。DANGER!DANGER!とてつもない興奮の中に少しだけ混ざっている恐怖を無視して、私はそのメールを開く。画面の明るさはさっきまでと変わっていないはずなのに、異常に明るい光量が飛び込んできたみたいに目が眩んだ。

煙はないのに火があった

「そう言ってくれて救われた」とかいうやけに大袈裟な文がそこには書いてあったのだ。はぁ?救われたとか何それピーチ姫か? 当時の私は今よりもっと尖っていたから、こういう「男性に甘える女性」だとか「”救う”みたいな壮大な次元で会話をしようとする人間」のことを心底軽蔑していた。はい嫌い〜!お前誰か知らないけど合わね〜友達だとしてもやだ〜ってかこんな奴と友達でいる一太郎のセンスもヤバ〜!今思い返すと普通に嫉妬である。嫉妬している自分を受け入れられなくて、高速で軽蔑に切り替えたダサい私は、同じ速度で画面を「送信BOX」に切り替える。下向き三角を連打して連打して…あった。

「俺もずっと大切に思ってるよ。何かあったらいつでも助けるから。また地元帰ったらゆっくり話そう」

いつでも助ける、なんて歯の浮くセリフを言えるタイプの人間だってことにドン引きしつつも、さっきまでとは違うタイプの汗が毛穴から分泌される。歯茎がむずむずしてきて、私は猛烈に興奮していた。あった!!!ないと思ってたのに!なんか変なメールあった!!!!これはギリアウトってことにできるのでは?浮気、とまではいかなくても、ちょっと怪しいですよね?自分の中にある僅かな常識や、見聞きしてきた恋愛から弾き出したあやふやな「普通」のラインと、今の状況を比較する。うん。いける。アウト。

興奮しているはずなのに、私はやけに静かだった。憧れていたはずなのに、いざ自分が経験すると、思い描いていたように泣き喚いたり怒鳴ったりできない。どうしよう。とりあえず、携帯を待受画面に戻して、元あった場所に置き直した。シャワーの音はまだ続いている。出てくるまでに、この後の展開をきちんと作劇しておきたい。泣いとくか?いやそれは流石にやりすぎだな。ってか、こういうのって私の罪はどうなるんだろう。「携帯を勝手に見た」っていう負い目は、一回無視した方がいいのか?いやでも普通に見た罪は存在してるんだよな。え、どうしよ。一回私から謝るか?いやでも「見ちゃってごめん」から殴るのはムズい。やっぱ一回自分のことは棚にあげるか。それで?なんて切り出すの?「浮気してるでしょ」はしっくりこない。そもそも浮気…なのか?考えがまとまる前にシャワーの音は止まって、何も知らない一太郎がお風呂場から出てくる。私の座っているベッドにはほんの数秒でたどり着くだろう。テレビ、見るか。とりあえず。流れ続けていたバラエティ番組では、芸人さんがひどい目にあっていて、私には何故彼がひどい目に遭っているのかわからない。