共感できる理由

しかし、こんな世界でレンアイとして生きるとしたらと考えるだけで気が重い。実際に、こんな世界だからこそ、主人公をはじめとしたレンアイたちの感情は切実に映る。

一般的な恋愛マンガであれば、自分と同じ人を好きになったライバルが出現することで物語が展開していくけれど、身近な友人同士でセックスをする本作の世界では、自分の好きな人と友人がセックスを済ませている可能性も十分にある。

しかも、彼らに悪気は全くないうえに、「一人を独占しようとするなんて怖い」と思っているのだから、自分の複雑な心境を打ち明けられない。これはつらい。

こうした描写は、読み手によっては「マイノリティの立場を想像してみよう」というメッセージにも映るかもしれない。しかし、本作は、恋愛をしない人や恋愛に振り回されないことで叶う安穏とした暮らしを照らしながらも、恋愛をする人を否定せず、むしろ寄り添うような面がある。

現に私は、作中世界のマジョリティである「割り切って」平和に暮らす人たちを眩しく見つめながらも、レンアイの人たちに感情移入してしまった。恋愛至上主義の現実世界でも、恋愛に過度に入れ込む「重たい」人間は怖がられたり、バカにされたりしがちではなかったか、と。

恋愛のない世界を朗らかに描きながらも、レンアイの人たちの気持ちに寄り添っている点で、恋愛に“過剰に溺れる”人たちを肯定する、別の意味でラディカルな作品でもあるようにも受け取れるのだ。

主人公には申し訳ないが、絶対無理ゲーの恋の行方よりも、この世界で恋愛がどう結論付けられるのかが気になって仕方ない。

できることなら、恋愛感情を持った人も、恋愛感情を持たない人もすこやかに生きられる世界が描かれてほしい。現実ではなかなか叶わぬ幸せの青写真を託すようにして、私は本作の続きを今後も追ってしまうだろう。

◆もしも世界に「レンアイ」がなかったら
作:ヤチナツ

もしもこの世界に恋愛がなかったら? 相手を決めず、いろんな人とセックスすることが常識中の常識。子供もみんなで協力し合い育て、男女の嫉妬もなく仲良く平和に暮らす世界。だけど恋愛感情を持つ少数派の人間「レンアイ」もいて、乙葉もその1人。自分を理解されづらい世界で、太一とのハッピーエンドを夢見ながらも時には傷つき、葛藤する乙葉が出す答えとは…?「恋愛」の面倒さ、もどかしさ、そして素晴らしさを再認識する新境地的作品!
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TEXT/佐々木ののか