長く一緒にいるからこそ、積み重なる思いが生まれる

あなたが同棲に踏み切れない理由として、「一緒にいる時間が長くなることで女として見れもらえなくなるのではないか」「半同棲している今の時点ですでにお互いの言動に慣れが出てきている」を挙げられています。
その“慣れ”というのが具体的には書かれていないためあくまでもわたしの推察になるのですが……相手が自分のために何かしてくれることが当たり前になっていたり、この人なら何を言っても失礼な態度を取っても許してくれると思いこんでしまって扱いが雑になっちゃったり、ということでしょうか?
もしもそういった事実があるとすれば、いい傾向とは言えないですよね。

でも恋人や夫婦間における“慣れ”は、一緒に住む/住まないによって決まるわけではなく、あくまでもひとつ要因に過ぎないため、共に人生を歩んでいきたいと思っている相手なら避けては通れない道のはずです。
一緒にいる時間が長くなれば必ずしも慣れは出てくるから諦めなさいねと言いたいわけではなくて、そうならないための努力は同棲や結婚以前に忘れちゃいけません、ということ。そもそも、“慣れ”による相手への雑な扱いなどは、恋人や配偶者に限らず、自分以外の人全員に対してしてはいけないことのはず。いくら一緒にいる時間が長いからといって、恋人や配偶者だから許される、仕方がないものだと諦めたり、押し黙るのはいかがなものかなぁとわたしは思います。
感謝の気持ちは忘れない、相手のいい部分を観ようとする、自分を省みるなど、誰かとの関係を円滑にするための必須事項は、全方面に向けて常に自戒し続けなくてはならないのではないでしょうか。

まあ、先に書いたような相手を蔑ろに扱う行為までいかなくても、そりゃあ人間なんてものは否が応でも環境に順応し、心身ともに緊張は解けていくもの。
片想いしていた頃や付き合い立ての頃のように、常に足元がふわふわした浮ついた気分や、連絡がきただけで心臓の鼓動が鳴り止まないドキドキ感は一生続きません。
というか、一生続いたら疲れてしまって堪ったもんじゃないですからね、むしろ困ります。

あなたはそういったドキドキ感、彼から付き合い当初のようにていねいに扱われる機会がお互いに少なくなっていくことを危惧しているようですが、でもね、そういう慣れって決して悪いことばかりじゃなくて、いいこともたくさんあるんです。
一緒にベッドに入って隣同士で横になっているだけで緊張してなかなか寝付けない夜を過ごすのもそれはそれで醍醐味のひとつですが、隣で口を開けて無防備に熟睡している姿を見て「これはわたしだけの特権なんだな」とあたたかい気持ちになれるのも、一緒にいる時間が長くなったからこそ味わえる醍醐味ではないでしょうか。

もちろん、わたしも夫と付き合いたての頃は、夫にかわいいと思われたい一心で、しっかりメイクをしてスッピンを見せないようにしたり、おしゃれをしてだらしない格好を見せないようにしていたりもしましたが、結婚してずっと一緒にいたらそんなもの到底やってられないわけで、今となっては力を抜いてありのままに生活をしています。
だからといって夫のわたしに対する扱いが雑になったり、巷でよく聞く「女として見れなくなった」なんてことはなく、それこそ、締切間近の徹夜明けでお風呂にも入っていない、顔もパンッパンに浮腫んでいるわたしに対して、夫は「いいねぇ、ヤギのにおいがするねぇ。生きてるって感じがして愛おしいよ。顔がまんまるでかわいいよ!」と言ってくれるのです。
もちろん、デートのためにしっかり身支度を整えている姿もそれはそれで喜んでくれますけどね。

何を言いたいのかというと、ありのままの飾らない状態の相手に対してかわいさや愛おしさを見出すこと、そういった姿を「だらしない」「女性としてどうなんだ」といった世間一般的な型に嵌めず、「一生懸命頑張ってるな」「外で張り詰めている分、家ではほどけた姿になれるんだな」と自分だけが知っている“特権”としてポジティブな気持ちで捉えることは長く一緒にいられる秘訣になりますし、ふたりの関係を育む上でもとても素敵なことだと思っています。

わたしは夫と知り合って6年以上経ちますが、今でも「えー! こんな一面もあるの! なんてサイコーにいい男なんだ!」と新しい一面を発見してときめく瞬間が多々あります。

これは、一緒にいる時間が長くなればなるほど積み重なっていく良さだと思います。

自分自身が「正解だ」と思えるプロセスが大事

あなたの「選択を間違えたくない」という気持ちは、とてもよくわかります。
誰だって失敗して傷ついたり失ったりしたくありませんから、正解は知りたいですよね。
でも、どの選択肢が最適解なのかは、結果が出てみないと誰にもわからないことなのです。
前回の相談でもお話ししましたが、正解かどうかはどうだってよくて、何より大事なのはいまの自分自身が「楽しい」「いい毎日だ」と思えること。
世間が勝手に貼ってくる失敗のレッテルに対しては「うるせぇ! お前には関係ないだろ!」の精神で無視を決め込んでいいのです。
そもそも、人生には他人が決めていい失敗も正解もありませんから。
たとえ自分の中で「あ、やっちまった。失敗だったな」という結果になったとしても、それは自分自身が正解だと思えるまでのプロセスに過ぎないのです。

「もしもダメだったときは別のやり方でやればいい、いつだってやり直せる」という考えは、常に持ち続けたほうがいいと思います。
これは「失敗してもいいから考え無しに行動しちゃっていいんだよ」という意味ではなく、今後の人生の選択肢が増え、かつて自分が下した決断を闇雲に責めなくていいんだよ、というお守りとしての役割になります。

正しい/正しくないと基準にするのではなく、自分はどうしたいか、どうすることが幸せなのかを優先してください。
たとえ「あ、間違えちゃったかも」と途中で不安になっても、そう決めた過去の自分を責めず、「あのときのわたしは自分なりに一生懸命考えて決めたんだから」と、それはそれで認めてあげてほしいと思います。

Text/ものすごい愛
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