今ってタイムループと変わらない日常を過ごしている?抜け出すための決意

先日、『パーム・スプリングス』という映画を見た。見た当初の感想と今考えていることに、少しズレが生じてきたというか、自分の置かれている環境を照らし合わせたときに、「あれ?これって全然違う見方のできる映画なんじゃないか?」と思ったので、今回はその話をしようかなと思います。

オチを含め、ネタバレを含む内容となっているので、これから見る予定のある方や結末を知りたくない方などは、こちらの記事は見なくて大丈夫です……。

運命の相手を待たなくていい

そもそも、なんでこの映画を見たのかと言えば、それらしい理由も特になく、時間的にちょうどよかったから。タイムループもので、男女2人が出ていて、へえ~そうですか……と、特に気になるトピックがある訳ではなかった。

タイムループ(やタイムマシン)と言えば、最近では『テネット』、みんな大好き『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、恋愛ものなら『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』。日本国内でも『時をかける少女』『サマータイムマシン・ブルース』……ドラえもんもそうか。ここで挙げているのは一例で、結構ある。そんなに目新しい設定ではないし、映画でないにしても、何かの作品を通じて触れたことがある人も多いはず。

そんな「まあ、いっか」くらいの半分なめ腐った感覚で見ていたのだが、思いのほかよかった。タイムループ、ということは同じ時間を何度か繰り返すこととなるので、何度も繰り返し同じシーンを見なくてはならない。にも関わらず、シュールな笑いを挟みつつ、テンポのよい展開。ダレることもなく、最後まで見ることができた。そして何より、ヒロインの登場が主人公の繰り返される日々の起爆剤(アクセント、とかそういう軽いものではない)となり、ヒロインの決意と努力がタイムループから抜け出すきっかけを与え、新しい日を迎えられるようになる。今っぽいな、と思う。性別が女だからと言って、自分を変える運命の相手が現れるまで、待たなくたっていい。未来は、自分の努力と決断によっていくらでも変えることができる。

現代の私たちは白馬の王子様を待ち続けるお姫様でいられる時代ではないんだと思う。自分のことは自分で決められるし、気持ち次第でなんだってできる。性別が違うくらいで、可能性は変わらない。もちろん、実際には性別による格差・差別はうんざりするほどあるし、できる限り減ってほしいな、減らしていきたいなとは思っている。しかし、このような作品を通じて、改めて「あ、やっぱり私って別に『女の子』じゃなくてもいいんだよな」と気づかされて少しずつではあるが前に進めている気がする。映画の趣旨とはややズレる感想ではあるのかもしれないけれど、私はそういう感想を持った。

まあ、そんな感じで普通にいい映画でした。『TENET』ほど難解ではなかったし、わかりやすいと思うし。普段あまり映画を見ない人にもおすすめできそう。