なくなっても命の危険にさらされないが…
これだけ長く生きていると、好きなものや趣味を否定されることがある。そして、私はその言葉をよく思い出す。本当に無駄なんだろうか、いやいやそんなことはないはず……と何度も頭のなかで反芻して、脳裏にべったり張り付いた言葉をゆっくりと剝がしていく。
たとえば、「小説読んでも、意味なくない?」とか「映画って2時間もあるから無駄だよね」とか、「CD買って何になるの?」「たくさんライブに行っても何も残らないじゃん」と言われたこともある。お金と時間と情熱、好きになったらとことん注ぎ込んでしまう、私のどうしようもない性格を危惧しての助言だったかもしれない。言った本人は、きっと覚えていないだろうが。
「女の子は結婚するんだから。少しくらい馬鹿な方がかわいいよ」という言葉もそう。「そういうものなのか」と、高校受験で志望校に合格した直後の私は自分を納得させていたけれど、自分の核となる部分を否定されたのだ。勉強が好きだったわけではないが、勉強に傾けた時間と努力、自分で決めた進路。いつ来るか、本当に来るのかすらわからない結婚という謎の機会を理由に、意味のないことだと見なされたのだ。
何かを好きになること、趣味を見つけてお金や時間を費やすことは、無駄なんだろうか? 本当に意味のないことだったのだろうか?
たしかに衣食住ほど重要ではないし、生きていくための賃金を得る労働のほうがよっぽど大切なのかもしれない。なくなったところで、とりあえずは命の危険にさらされることはないし、今生きている環境が変わることもない。私が趣味に費やした時間のすべてを、仕事に必要な資格を取るとか、もっと有意義なことをするための何かに次ぎ込んでいれば、今頃はもっと広い部屋に住んでいたかもしれないし、想像ができないようなゆとりのある贅沢な生活ができていたかもしれない。まあ、選べなかった未来を想像したところで意味なんてないのだが。
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