無駄なもの、意味ないものが、なんとか生かし続けてくれる

ここ最近、特にコロナウイルスが流行り出してからはひとりでいる時間が増えた。在宅勤務が可能な職種であるため、準備や通勤の時間である約2時間が減り、その分だけ自由に過ごせる時間は増えた。しかし人に会ってコミュニケーションを取ることも、外で気軽に遊ぶことも以前より難しくなった。

そんなとき、いつも私を救ってくれたのは、今まで「無駄なこと」「意味のないこと」として扱われてきた、私の趣味や好きなことだったように思う。仕事が辛いとき、人間関係がうまくいかないとき、誰かが手を差し伸べて解決に導いてくれる機会に恵まれなくても、私の好きなものは、いつだって私の寄り添ってくれるのだ。その場しのぎかもしれないし、一時的な錯覚に近いのかもしれない。けれど、何かうまくいかないことがあったとき、「まあ、いっか」「大丈夫かもしれない」と思わせてくれる。重苦しかった自分の気持ちがすっと軽くなる度、何かに傾けたお金や時間、情熱は無駄ではなかったのだと実感する。好きなものは多ければ多いほど、その気持ちは比例するように大きくなっていく。無駄なもの、意味がないものが、私をなんとか生かし続けてくれているのだ。

他人からは無駄なもの、意味のないように見えるものが私を形成しているのだと思う。人生は仕事だけでは決まらない。何が好きで、どんなことに感動できて、興味関心の幅がどう広がっていくのか。言葉の選び方やファッションセンス、情報の入手経路などまだまだたくさんあるが、ひとりの個人、個性をつくるのは今身の回りにあるものだ。衣食住と仕事、生きていくうえで最低限必要なものだけを行っていたとしたら、きっと今の私はいなかっただろう。

まあ、そもそも人の好きなものや趣味に対して「無駄だ」と切り捨ててしまうなんて、あまり豊かな人生とは言えないですよね。自分のことならともかく。周囲にいるさまざまな人を認めるという意味でも、無駄なものや無意味なことをたくさん経験していくのは、かなり大切なことなんじゃないだろうか。まあ、私の場合はもうちょっと仕事とか人間関係に情熱を傾けてもいい気はするのだが。

人にどんなことを言われようが、自分が好きになったものには常に自信を持っておきたい。

Text/あたそ

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