当然の権利が、いまの社会には贅沢な希望になっている

では、会社が悪いのか? というと、まったくそうは思わない。偉い人が率先して育児休暇を取ってみればいいのにとは思うが、その程度だ。

男性社員が誰も育児休暇を取らない。個人を尊重しているのか何なのか、勧めることもない。取りたがる人もいなかったのかもしれないし、言えない空気が作られているのかもしれない。表面上はいい会社を気取っているだけで、女性の働きやすさや男性社員の配偶者の生きやすさには何も関心がないようにも見えるけれど、多様なライフスタイルがある中で、少しずつ調整しながらちょうど真ん中あたりをいい具合に狙う努力はしているとは思う(たぶん)。

私にとって、今の会社は働きやすい。けれど、結婚して子供を産んだ場合、現段階での日本人女性の最適な働き方は非正規雇用になってしまうのだろうとしみじみ思う。夫のもらう給与の方が多い家庭が多数のなかで、お互いに働く時間を削り、仕事と家事を平等にすれば、世帯収入は落ちるし、どちらの査定にも響く。昇給昇格がなくなれば、子どもの教育や将来にも関わってくるのかもしれない。そういうことを考えた結果、今のように女性が家事育児をやりながら働く……というよくある構図ができあがってしまう。

女性に生まれてしまったら仕事か子ども、どちらかを諦めなければいけないのかもしれない。薄々気づいていたことではあるけれど。体力も気力も有り余っているとか、かなりのお金持ちとか、家族が近くに住んでいるとか、そういう特別な場合を除いて、全員に当てはまることではないのか。

「仕事もバリバリやるけど、子どもが欲しい」というのは、当たり前にあっていい目標なのに、今の社会にとってかなり贅沢な希望になっている。

たまに考えるんですよね。専業主婦になりたいもうひとりの私とか、絶対に子どもが欲しい私とか、全然働けなくてずっとフリーターである私とか、想像上の仮の自分について。でも、今の私含め、どの私もそれなりに生活をしながら、何かしらを諦めることになる気がする。

別にこの話にオチはないけど、結婚してもしなくても、子どもがいてもいなくても、正社員でも専業主婦でもいいけど、本当にやりたいことのあった誰かが何かを犠牲にしたり諦めなきゃいけないのって、やっぱりちょっと変なんだと思う。そして、誰かの犠牲で成り立っている今の社会構図はどこにでもあって、私の会社に限った話ではない。きっとどこにでもある普通の会社。ごく普通のありふれた生き方で、「本人の希望した働き方」として処理されている人も、きっと大勢いる。

それを当然のように受け入れているから今の私がいるのですが、たまに怖くなる。私が今、働きやすいのは誰かの挫折や諦め、その他マイナスの気持ちのうえに成り立っていて、それに私がほとんど気がつけていないような感じがするから。かといって、平社員の私、一般小市民の私に、何かできるといえばこうして文章を書くくらいで、何もできはしないのだけれど……。

Text/あたそ

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