ある酒の席でのことでした。男女入り混じったその日のメンバーは、かつて若い頃はつるんでよく遊んでいたけれど、大人になってからはなんとなく疎遠になってしまい、ごくたまに集まって飲むといった関係性の友人らでした。男性は地元に根差したマイルドヤンキー風情、女性はみな、しっかりと高めのヒールで足元を固めている。わたしが平常、仲良くしているサブカル・文化系の男女のは少し違ったコミュニティゆえに、いつも発見と驚きが多々あります。
その日の一番の驚きは男性メンツのひとりが口にした「(某薬物で捕まったとある芸能人に)説教したい」というものでした。ちょうどその頃、ニュースとなって世間を騒がせていたので、そんな言葉が軽いノリでついつい口から出てきたのだろうし、すぐにその場にいた別の男性が「お前何様のつもりなんだ」と笑いながら頭を叩いていたので、その話題はさっさと流れてしまいましたが、わたしが気になったのは「説教したい」とはいったいどういう気持ちなのかということです。
野外おしっこを叱ってきた説教好き男性
説教をするのが好きなタイプの人っています。かつて付き合っていた二十歳ほど年上の男性はよくよく「〇〇というものは」といって説教混じりにわたしに語るのが好きでした。例えば「男というものは金を稼がないといけない。年に一度くらいはカミさんをビジネスクラスで海外旅行に連れていけるくらいの稼ぎは欲しい」とかを真顔でいうのです。
いつの時代の価値観だって話ですが、そういった時代錯誤な彼の説教の矛先が、わたしに向かったとしても、その当時のわたしはわりと破天荒だったため、まったくダメージを負うことはありませんでした。
あれは、彼と一緒に雪深い山奥にある温泉に出掛けたときのことです。車中で尿意を催したわたしが彼に「おしっこがしたい」と告げたところ、「まず、女の子なんだからおしっこなんて言うのはやめなさい」という説教が返ってきました。「おしっこはおしっこなんだから、おしっこでよくない?」とすぐさま車を止めさせると、誰も踏み込んでいない新雪をジョバーッとおしっこで黄色く染めました。「あーあ、女の子が野ションなんてして……」と肩を落とす彼、呆れられたところで痛くもかゆくもないわたし……と、そんな有り様だったので、説教が説教として成立していなかった。
そんな暖簾に腕押し以上も以下もないわたしに対して、めげることなく度々彼が説教をかましてきたのは、おそらくは「非常識な年下の女性」であるわたしに対して、黙って口を閉じていることができなかったからで、例えば取引先のクライアントの男性が車での移動中「おしっこがしたい」といったところで、果たして「おしっこなんて言うのはやめなさい」と注意しただろうか。
- 1
- 2