「分かったような分かんないような」
作品:つめをぬるひと
好きな映画で、「みんな寂しいんだよ。だから『寂しい』って言うのなんて意味ない」というセリフがある。
これは「周りも辛いんだからあなたも我慢しなさい」という押しつけではなくて、「さみしい」というごく当たり前の感情に振り回されるなんて、というニュアンスがある。
そのセリフに対して相手は「分かったような分かんないような」と返す。
さみしさに深入りしすぎて「どうして自分だけ」みたいになってしまうこと(「この世で自分が一番可哀想」が一番可哀想に見えない仕組み)や、逆に、何事もなかったように無理矢理スッキリ楽しいフリをすること(SNSでコメントしようがなく「とりあえずいいね」をさせてしまう現象)は、周囲の反応を困らせ、さらにさみしさを増長させているように見える。
冒頭の映画のセリフは、そのどちらでもない。
さみしさを肯定も否定もせず、ごく当たり前に誰もが持ってる感情として扱う。
「どうせ帰れっつっても帰らないんでしょ」と、しばらくそのへんで好きにさせておけば、「さみしさ」は知らないうちに帰ってる。そういう付き合い方もある。そして、実際はそう、うまくいかないこともあるのが現実。
たしかに、分かったような分かんないような。
Design&Text/つめをぬるひと
※2016年12月19日に「SOLO」で掲載しました