安心・安定ばかり求めているとすぐ老けちゃう?

玄田

僕、安心って嫌いなんですよ。特に、まだ若いのに安心や安定を求める人には、そんなのやめとけよと言いたくなる。明日何が起こるんだろう、どんなトラブルが降り掛かってくるんだろうって、心がザワザワするくらいのほうがいいですよ。あんまり安心ばっかり求めていると、すぐ老けますよ。

――「安心を求めているとすぐ老ける」って、おもしろいですね。

玄田

歳を取ると一年がどんどん短く感じるようになるじゃないですか。あれにはちゃんと理由があって、毎日がルーティンになって、先が予測できてしまうからだそうです。ほら、知らない場所に旅に行くと、行きよりも帰りの方が圧倒的に時間が短く感じるでしょう? あれと同じなんです。

 だから、安心ばっかり求めていると、若いのに“帰り道”みたいな人生になっちゃう。自分の中に予測できない部分を持っていないと、人生なんてすぐ終わっちゃいますよ。

――たとえば、人生において予測できない要素ってなんですかね?

玄田

愛じゃないですか(笑)。最近は、若者があまり恋愛しないとか言われているけど、たぶんそのほうがラクで安心だからだと思うんです。それは決して悪いことじゃない。ないけど、少なくともザワザワはしない。

 予測できない人と付き合うと、きっとへとへとに疲れるだろうけど、予測できちゃうような人とばかり付き合ってても、つまらないんじゃないかな。もちろん、どちらがいいかは自由だけど。

 確かに、安心や安定を取るのはラクだけど、若いうちは、わからないことや不安なことを面倒くさがらないほうがいいですよ。だって、生きるって基本的にぜんぶ面倒くさいことだから。それを嫌がってたら、年寄りと一緒です。

――おひとりさまの中には、結婚しなくてもこの先大丈夫だろうかと不安に感じている人もいると思います。今のお話を聞いていて、そんなとき「別に安心を取らなくてもいい」と思えたら、少しは気がラクになるんじゃないかなと思いました。

玄田

考え方の問題かもしれないけど、先のことがわからないからといって不安になるよりは、先のことがわからないから面白いんじゃないのって思えるかどうかじゃないのかな。
あと、おひとりさまで生きていくには、妄想力や想像力がとても大事になってくると思う。

 おひとりさまは、家族や友だちが先に死んでしまうかもしれない、いざというときにひとりで野垂れ死にするかもしれない、という最悪の事態を常に自分で想像しないといけないわけでしょう。
それが嫌だなと思ったら、そうならないように、今できるだけのことを全力でやって、後はどうなってもしょうがない、と祈るしかない。きっとこれからは、そういう生き方や気の持ちようが必要とされていくような気がします。

――悲観的でも楽観的でもなく、粛々と自分の人生を生きられたらいいですね。

玄田

結婚しなくたって、良いことも悪いこともあるし、結婚したらしたで、良いことも悪いこともある。おひとりさまだからって、自己卑下する必要はないけれど、正当化しすぎる必要もない。
自分のことに満足してる人よりも、なんだかなあ、しょうがないなあって思いながら生きている人の方が、なんか信用できませんか?(笑)

 僕は“まんざらじゃない”って言葉が好きなんです。死ぬときに「私の人生、幸せだった」と言い切って死んでいけたらそりゃいいけど、そんなこと本当にあるのかなって思うんですよね。
「まあ悪くなかったな、まんざらじゃなかったかな」くらいの生き方でいいんじゃない? 人生の勝ち負けなんて、だいたい五分五分だし。

――そう考えたら、少し楽に生きられるかもしれませんね。

玄田

知り合いの老人に「夢を持ったまま死んでいくのが夢だ」と言った方がいて、すごくいいなと思ったことがあります。
たとえば、芸術家が「これが自分の最高傑作! やりきった!」なんて言ってたら、生きているけど“終わってる”人なんだなって思う。それだったら、無念だった、叶わなかった、もっとできたのに……って思いながら死んでいくほうが、よっぽど素敵だと思うんです。

――幸せにしろ、成功にしろ、達成しちゃったと思ったら終わりですもんね。常に“まだ途中だ”と思い続けるからこそ意味があるというか。

玄田

そうそう。もちろん、孤立化というのは、国が政策や制度によって対応していかないといけない問題ではあるんです。親が死んだ後に食っていけなくなって生活保護を受ける人や、今では高齢者の引きこもりもとても多い。

 ただ、おひとりさまが増えているのはある意味、社会の成熟の証でもあると思うんです。“ストロング・タイズ”の話と同じで、「組織があってはじめて人は幸せになれる」という考え方から、「組織に所属していれば安心、という生き方はもう限界かもしれない」というふうに、社会が変化してきている過渡期ならではの現象という気もする。

 だから今、自らすすんでおひとりさまを選んでいる人たちは、時代のフロンティアなのかもしれない。そういう人たちが「まんざらじゃなかったかな」って思いながら死んでいける世の中になってほしいんです。

Text/ 福田フクスケ

※2015年12月8日に「SOLO」で掲載しました

(プロフィール)
玄田有史(げんだ・ゆうじ)
1964年、島根県生まれ。東京大学社会科学研究所教授。専攻は労働経済学。若年者の失業問題に迫り、雇用の本質的な問題提起をした『仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在』(中央公論新社)で、サントリー学芸賞を受賞。ニート(若年無業者)の問題を日本に知らしめた第一人者としても知られ、希望を個人の内面ではなく社会の問題としてとらえる「希望学」を研究・提唱している。主な著書に『孤立無業(SNEP)』(日本経済新聞出版社)、『希望のつくり方』(岩波新書)など。