四万十で“プラダの財布”は必要か?
現在、東京で借りたら家賃6ケタの1戸建てを、4ケタ(!)で借りており、食材もよくいただくのでお金を使う機会はさらに激減。お金のために、と仕事をムリに抱え込む必要がなくなるので、余裕を持って仕事ができています。
東京、そして高知市と比べて生活はさらにシンプルになりました。遊び方は料理とお酒を持ち寄って、誰かの家でパーティーするとか、気になる映画があったら上映会を自分たちで企画するとか、皆で餅つきや味噌作りをしてみるとか、そういう毎日で、意外と忙しいのです(笑)。
パーティーの場にミュージシャンがいれば歌い、ダンサーがいれば踊り(四万十にはなぜかアーティストが多い)、料理も「玄人はだし」の人が多いので(田舎では美味しいお店ができるのを待っていても仕方がないので、自分たちで作るという姿勢のなせる技!)、気づけば四国の山奥にいるとは思えないクオリティの高い料理に囲まれていたり。
ジビエもここでは当たり前。また、ときどきは街に行き、カフェやTSUTAYAでここぞとばかりに文化の香りを吸い込みます(笑)。暖かくなったらキャンプやカヌーに釣り、とアウトドア遊びが日常になることでしょう。
「おひとりさま」のフットワークが軽さは武器になる
そんな風にお金を使う機会が減って思うのは…なんというか、無人島に行く時にお気に入りのブランドのワンピースを着ていく人ってあまりいないですよね。もっと破れてもいいようなジーンズとか、履いて行きませんか?
何が言いたいかというと、いかに私たちは人の目のための消費をしているかということ。私もフリーになった時に、自分に気合を入れようとプラダの財布など買ってみたのです。あくまで自分のためだと思っていましたが、でも、もしも自分以外誰もプラダを知らない国にいたら、その財布を買ったかどうか自信がありません。
やっぱり周りからの「いいね」を欲しい気持ちがなかったと言ったらウソになる。他人からの称賛や羨望が欲しいという自分の気持ちも見つめたうえで、ファッションという遊びに昇華できていたら健全です。でも、自分を省みるとまったく自覚的じゃなくて、いつの間にか「これぐらいは持っていないと」という無意識の思い込みに振り回されていたな、と思うのです。借りていた部屋も、買っていた服や小物も。
地方のいいところは、東京とくらべて圧倒的に「人の目」が少ないところ。人目を気にせず「自分の心身が心地よいかどうか」という一点のみにおいてすべてを選択できることが、どれほど幸福なことか−−。
おひとりさま、東京から高知市を経て、四万十へ。また何か新しくておもしろそうな流れが来たら、乗るとは思いますが、とても心満たされる居場所を見つけました。
もしもあなたが東京的な生活に疲れているなら。地方移住という手もありますよ。「おひとりさま」でも、いけました。おひとりさまであることは、フットワークが軽いという武器になります。私は前の恋人と別れてから「新しいパートナーができたら移住しよう」と思っていました。でも友だちに「彼氏が東京での仕事を手放せなかったら、移住できなくなるのでは?」と言われて至極納得。
それに、先に一人で移住を果たして、のびのび暮らしていた方がパートナーもできやすいのかもしれません。極端な例かもしれませんが、高知に単身移住して1年を待たずに恋人ができて結婚、もうすぐママという友だちも。
周囲のムードに流されず、「自分の心身が心地よいかどうか」をニュートラルに感じられる健やかさが、皆さまにも私にも、いつも共にありますように。読んでくださってありがとうございました! 今度は「田舎で消耗してるの?」にならないためのtipsとか、いろいろ書き足りませんが、すでに文字量を相当オーバーしているのでひとまずここで。またどこかで!
Text/小野好美
※2016年2月24日に「SOLO」で掲載しました