どうしようもないものはどうしようもないのだ
そりゃ、もうちょっとかわいければ人生イージーモードであったろうと、そんなことは誰だって一度は思う。
いい恋愛をしてつまらない日常を彩ることができれば、毎日もうちょっといい気分になるだろうとも思う。
ただ、やはり持って生まれた造形というものがあるのであって、私がどんなに努力してもローラにはなれない。
100人に聞いても全員がそれはそうだと言うはずだ。恋愛も同様に、そもそも相手がいなきゃ始まらない。
あるいは、誰かのことが好きでも、その人物が自分のことを好きでなきゃ始まらない。どうしようもないものはどうしようもないのだ。
努力がフリーパスとなってしまったがゆえの不幸は、うまくいかないこと全てを自己責任として引き受けなきゃいけないところである。
タイミングとか、才能とか、自分じゃどうにもならないものに正当に責任転嫁することは決して許されない。
不可能を可能にできないのは全部努力が足りないせい。私がローラになれないのも努力が足りないせいなのである。……そんなわけあるか!
だが、世間は、そして世間の一員である我々は、えてして物語の辻褄を合わせたがる。
目の前の現象の全てを、理解できる範疇に収めようとする。だから、誰かがうまく生きていなければ、それは全てその人の過失になってしまうのである。
思い当たるあらゆる努力をやり尽くしてもうまくいかない。疲れ切った我々アラサー女性の唯一の逃げ場がそう、スピリチュアルだ。
私の妹は昔から鎖骨がやたら過敏で、ネックレスや首の詰まった服など、鎖骨に何かが触れるのが極端に苦手な体質だった。
しかしあるときたまたま前世が見える人に「あなたは昔奴隷だった。いつもたすきがけのように縄で縛られていた」と言われたそうだ。
鎖骨が過敏なのは、その縛られていた記憶のせいだというのだ。別にそれを聞いたからって妹の鎖骨過敏が改善されはしなかったが、本人はなんだか妙にすっきりした顔をしていた。
また、数年間恋人ができないことで悩んでいた私の友人は、同様に前世が見える人に「あなたはかつて巫女だった。そのさらに前は、人間ならざる者だった」という仰天の物語を聞かされ「色々なことが腑に落ちた」と語っていた。
さらに別の、結婚願望を持つ友人は、完全紹介制でしかお客をとらないという凄腕占星術師に「結婚は今は無理だが3年後にはある」と言われ「3年間仕事がんばろ」と決意を新たにした。
前世の私の物語や、天体の動向が描き出す私の物語、統計学を元にした私の物語。凄腕とされる占い師ほど、私の知らない私の物語を、強い真実味を伴って紡いでくれる。
私たちはそれを聞いて、自分の抱える不可解な物語の辻褄を合わせることができる。
安心するし、何よりとても気持ちが良いものだ。