おそらく今年、人生でこんなに楽しみでないGWを迎えるのは初めてだ……! と、真面目に外出自粛生活を送っている人が多いのではないかと思う。これから世の中がどう変わっていくのかは、まだまだわからないことだらけだ。とりあえずもう少し、家で読書したりNetflixを観たりするしかない日々は続きそうである。
私はというと、外出自粛生活が始まってからというもの、「SF」「人類学」「歴史学」みたいな、スケールのでかい(?)本をたくさん手にとっている。もちろんその理由は、時代を先読みしてまわりの人よりも一歩リードしたいとかではない。単純に、狭い家に1人でこもっているしかない今、気軽に現実逃避できるものを求めているのだ。逆に、今だからこそあえて旅行記をたくさん読んでいるという人、パートナーに会いにくい状況が続く中で恋愛ものをたくさん読んでしまうという人、いろいろいるだろう。
今回取り上げるのは、そんな外出自粛生活の中で私が読んだSF小説『闇の左手』である。作者は、『ゲド戦記』でおなじみのアーシュラ・K・ル・グィン。この連載で女性作家によるSF小説を取り上げるのはマーガレット・アトウッドの『侍女の物語』、ナオミ・オルダーマンの『パワー』に続く3作目なので、合わせて読んでみてもらえると嬉しい。
男も女も、ジェンダーの概念もない社会
『闇の左手』の主人公は、人類の同盟エクーメンの使節であるゲンリー・アイという男性だ。ゲンリー・アイは外交関係をひらくべく、雪と氷で閉ざされた惑星ゲセンを訪れる。この惑星ゲセンの住人は、なんと全員が両性具有。男も女もない彼らは、ジェンダーの概念がない社会を形成している。
ゲセンの住人は、ケメルという発情期にしかセックスをしない。そのセックスも、男か女どちらかの決まった体を持っている私たちのものとは、だいぶ様子が異なる。ケメル期にホルモンの分泌が促進され、男性器を持つ者と女性器を持つ者がランダムに決まるのだ。女性になった者が妊娠した場合、妊娠期と授乳期のあいだは女性の体でいるが、授乳期が終わると再び両性具有の体にもどる。子供を数人産んだ母親が、同時に数人の子供の父親になったりもするのである。
男も女も存在しない社会ーーもしもこういう社会に私たちが生きていたとしたらそれはどのようなものなのか、小説を読みながら著者であるル・グィンの思考実験の跡をたどるのは面白い。
たとえば、惑星ゲセンでは、「パートナー」の持つ意味合いが私たちの社会よりも希薄だ。ケメル期にセックスをするのは、必ずしも決まったパートナーとは限らない。「ケメルの誓い」という一夫一妻制度に似た風習は存在するが、「ケメルの誓い」はあくまで倫理的な規範であり、法律的な拘束力はない。種をばら撒きたい男性と、子育ての間の生活保障をしてほしい女性という区分が存在しないわけだから、愛情や嫉妬はあっても、法律的な意味での「結婚」はないのである。
また、強と弱に二分されるような人間的属性が存在しない。保護/被保護、支配/従属、所有者/奴隷といった関係が、ゲセンにはないらしいのである。同意のない性行為や、強姦も存在しない。ただこちらは、男/女がなくなっても力が強い者と弱い者という体の個体差は残ると思うので、私はちょっとピンと来なかったけど。
ところどころ異論はあれど、ル・グィンのアイディアに「なるほど」と唸りつつ、もしも両性具有的な、男女が完全に平等な社会が実現したら……と考えていると、狭い家の中に1人でいてもまったく退屈せずに時間が過ぎていく。
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