本当の旅、本当の友情、本当の愛

ネタバレになってしまうので、ここで小説の結末を明かすことはしない。でもちょっとだけ言ってしまうと、旅行先のクアラルンプールで、この3人は少しずつ破滅に向かっていく。自撮りをし、スマホでイケてる音楽をかけながら、ヴァイブレーションを共有できない「他者」をミュートし、自分の中から湧き上がってくる感覚を必死に無視し続ける。

実は微妙な風景だったのをまるで絶景のような写真に加工したり、たいして美味しくもない料理を絶品だったかのようなコメントをつけてTwitterに投稿したりするのは、まあやらないほうがいいけど、まだいいと思う。怖いのは、友人や恋人同士など、人間関係における感覚を無視し続けることだ。

ハネケンは、づっちんにもヤマコにも、実は少し違和感を持っている。お店の人に怒られているのに、それを無視してカメラのシャッターを切り続けるのはどうなのか。ホテルでずっとスマホを見て、写真や動画を編集し続けるのはどうなのか。だけど、それを言葉にすることはない。言葉にしたら、「楽しそう」「幸せそう」なこの雰囲気が壊れてしまうし、一度壊れてしまったらもう夢を見ることはできない。

私たちは、やっぱり「幸せそう」な雰囲気にどうしても惹かれる。でも『本当の旅』を読むと、「幸せそう」に執着するのは、実はけっこう怖いんじゃないかという気がしてくる。

私はインスタはやってないのでTwitterのタイムラインを眺めてみる。みんな、夫婦や恋人同士、友人同士の仲がとても良さそうで、おしゃれな部屋で、美味しそうなものを食べている。いいなあ、と思う。だけど、別に幸せじゃなくたって、部屋がちょっと散らかってたって、ごはんが美味しくなくたって、別にいいのかもしれない。

大切なのは「幸せそう」な雰囲気ではなくて、どんなものであれ、私たちの中にあるこの感覚自体なのだ。本当に、どんなものであれ。