意味はなくただそこに「好き」がある。南米で考えた「不倫」について

タンゴを踊る男女の画像 jcorifjr

一般的には、不倫は良くないことだとされている。私も、まあ積極的にやるもんじゃないよなとは思う。もしこのコラムをお読みの方で現在不倫をしているという人がいたら、ぜひ恋愛の相手を不倫相手1人に絞らずに、独身のきちんとしたパートナーを別に確保しておくとか、どうかしたたかにやってくれよな! と思う。

それはそれとして、不倫だの浮気だのの話はつい、「正しいか正しくないか」「効率的か非効率的か」「幸せになるか不幸になるか」という軸で考えてしまいがちだ。そんなのは、正しくないに決まっているし、非効率的に決まっているし、幸せになれる確率も(相手一本に絞ったら)かなり低いに決まっている。だけど、吉本ばななの短編集『不倫と南米』は、そんな不倫を肯定も否定もせずに、アルゼンチンの自然や街の風景とともに、淡々と描いているのだ。

幸福の香りが残る不倫を描く

『不倫と南米』に入っている7つの短編は、そのほとんどが男女の「不倫」の関係を扱っている。職場の上司とするいわゆる(?) 不倫に、W不倫、年の離れた人との恋愛、年に3カ月間だけ会う不倫、奥さんから嫌がらせの電話がかかってくる不倫。だけどすべての短編において読後感は悪くなく、ほんのりとした幸福の香りが残るようになっている。

一般的には幸福と程遠いイメージがある不倫なのに、どうしてだろう? 小説だから? といろいろ考えてみたのだけど、おそらくこの短編集で不倫をしている女性たちは、実に淡々と恋愛をしているのだ。相手に幸せにしてもらいたいとも、自分を認めて肯定してほしいとも、寂しさを埋めてほしいとも特に思っていない。単純に、素敵な人が目の前にいて、なんとなく好きになったという具合で、相手のことを考えている。

だから不倫の相手に、特別な期待を抱いていない。自分のほうに振り向いてほしいとも、自分のことを認めてほしいとも思っていない。ただ、窓の外に降り注ぐ雨を、一緒に見つめていたりする。タイミングが合えばその後も一緒にいるし、合わなければ残念だけど一緒にはいない。本当に、すごく淡々としているのだ。