何事もニュートラルに。いちばんラクなのは中庸であること

女性が手を広げている写真 martinak15

男性からモテることも、女性から羨望の眼差しを受けることも、どちらも「他人からの欲望をかき集めたい」という根本に、変わりはありません。ただ、私自身の自意識の変遷をよーく思い出してたどってみると、大学生のときくらいまでは中村うさぎ派だったような気がするんですよね。おそらく、私よりももっと早い時期、高校生や中学生の段階で中村うさぎ派からくらたま派に移行した女性もいるのではないかと思うのですが、要はくらたま派というのは現世利益主義なのです。女性からの羨望をかき集めてもなんにもならない(と、私は思う)けど、男性からモテるとそこから恋愛できたり、結婚できたりします。
「汚れてしまった……」なんていうといささか話が大きくなりすぎますが、成長する過程で理想よりも現実を追い求めるようになった女性は、けっこう多いのではないかと推測します。

聖なる中村うさぎ派と、俗なるくらたま派。「清濁併せ呑む」という表現がありますが、おそらく中村うさぎ派とくらたま派の中間くらいにいるのが、精神的にいちばんラクです。特にこだわりがない女性はそこに落ち着くのがいいのではないか、というのが私の持論なのですが、いかがでしょうか。

しかし、俗なるくらたま派としては、いつまでも聖なるものを追い求める中村うさぎ派の女性を目の当たりにすると、自分の過ぎ去りし過去を思い起こしてしまうような、軽蔑とも羨望ともつかない不思議な感情を抱いてしまいます。聖なる中村うさぎ派の目に、俗なるくらたま派はどう映るのか。今度、女友達に中村うさぎ派を見つけたら、腹を割って話してみたいなあと思っています。

Text/チェコ好き

※2015年9月24日に「SOLO」で掲載しました