女の幸せが結婚だけなんておかしい!150年前の『若草物語』次女・ジョーの生き方

150年前の「理想とする女性の幸せ」

女らしさに悩む Gabrielle Henderson

『ストーリー・オブ・マイライフ 私の若草物語』を公開直後にどうしても見たくて、土曜日は早起きをして映画館に行ってきた。

コロナの影響で公開が3カ月も後ろ倒しになり、6/12の公開を今か今かと待ち望んでいた。4姉妹のそれぞれの幸せと心の揺れ動きやすれ違い、悩みや葛藤は、いい意味でも、もちろん悪い意味でも今とまったく変わらないんだなと感じたし、鑑賞後には登場人物の心情を何度も何度も自分なりに考えて落ち込んだりもしてしまったのだが、「これは私のための映画なんだ」って静かに思った。とにかく、女性(特に結婚や出産に興味があまりない人)は、得られるものが多いのではないか? と、そう思う。すごくいい作品だった。

(すみませんが、ここからは少しネタバレになるかもしれませんので、そのつもりで見ていただければ……)

『若草物語』の次女・ジョーと言えば、小説家になることを夢見る女の子だ。この物語は150年前、アメリカの南北戦争の前後が時代背景としてあり、当時の「理想とする女性の幸せ」とは、結婚して子どもを産むことのみであり、結婚相手がお金持ちであればあるほどいいとされていた。その方が自分だけではなく家族も余裕のある生活ができますからね、と。
しかし、ジョーは小説家になりたくて、手に職をつけたくて、結婚だけが幸せではないと思っている。予告編でも、「女の幸せが結婚だけだなんておかしい!そんなの間違ってる!でも、どうしようもなく孤独なの」とあった。泣けるよね、だってその通りなんだもん。色々な幸せな形があっていいはずなのに、結婚をしない/する気もあまりない私はいつまで経っても孤独だ。

『若草物語』は名作中の名作だ。小学生時代からなんとなくの話は知っている。私が生まれるよりもずっと昔の話だと理解していたはずなのに、この台詞だけが自分に近く、そしてよりリアルに聞こえる。何も変わっていないからだ。

確かに、今の日本は数年前に比べれば、結婚しなくても子どもがいなくても、いい時代になってきていると思う。ジェンダーギャップ指数はいまだ世界121位と低い位置にいるけれど、その空気は肌で感じられるような気がする。けれど、私たちが自由を手にするには、自分たちの生きたいように生きるには、男性と同じ位置に這い上がっていかなければならない。男社会のなかでも対等に働き、能力を発揮しなければ社会には認められないのだ。たとえ結婚や子どもという女性の絶対的な幸せとは別の選択肢が加えられたとしても、私たちは男社会のなかで認められなければ、ひとりで歩いていくことすらできないのではないか、と思ってしまうのだ。