「死ぬなよ-!」を交わす友人
私の友人には、一緒にお酒を飲んだ別れ際に「死ぬなよー!」という挨拶を普通に交わす人があまりにも多すぎる。まあ、半分冗談だと分かっているから使える言葉ではあるが。なんというか、自分の命に何も価値を感じていないような、一瞬でどこか遠くの暗くて冷たい場所に引きずり込まれてしまいそうな人が本当にたくさんいる。
その日の私は、新宿の、店員さんが中国人しかいない韓国系の焼肉屋で少しドキドキしながら友人を待っていた。それは決して恋とか愛の類ではなく、最近まで失踪していてどこで何をしているのかまったくわからなかった彼に会えるからだ。いや、失踪というとおかしいのかもしれないが、仕事も家も夢も手放し、SNSのアカウントもすべて削除した挙句に、友達にも一切連絡をしないまま突然東京を去ったような人。私が気づいた頃には、彼との繋がりがすべてなくなっていた。
でも、まあ今の時代ってこんなもんだよな。スマホの小さな画面のなかが自分を証明するもののひとつで、それをすべて消してしまえば、私というどうしようもない存在を他人の記憶から消すのは案外簡単なのかもしれない。そんなことを当時はなんとなく考えていた。
会うのは何年振りだろう。最後に会ったのはいつだったか思い出せないが、たぶん2年とか3年とか……そういえば、サシで飲むのは初めてだ。彼とはそれなりに話は合うし共通の友達も腐るほどいたけど、すごく仲がいい訳ではなかった。おまけに現在は遠く離れた実家で家業を継いでいるらしく、東京に来るのは久しぶりとのことだった。ますますなぜ私に連絡を寄越したのかわからない。結構謎だ。あんた、他にもっと仲いい友達いるでしょうに。
さまざまな気持ちが交差するなか、やっぱり会えば普通だった。2時間食べ放題の予定だったはずが、5回も韓国のりを注文し、結局終電間際まで4時間以上も他愛もない話をしていた。平屋で猫を飼うことに異常な憧れを持っている話や舐達麻の新譜の話、お互いの仕事の話、京都で7日間人と喋らない・目を合わせない修行をする寺があって修行中は性欲が凄まじいことになるらしいという話とか。文字にすると本当にくだらない。あれだけお腹いっぱいになったはずなのに、肉の味よりも会話の内容の方がいつも鮮明に覚えている。
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