「少し不思議」じゃなくっても、あなたに出会える私になろう

一気に秋も深まって、何事ですかという気分。いかがお過ごしですか〜? 9月に31歳になって、もう私三十路ですらないのかよ?! 人生早すぎんだろ?!?! などと思っていると、若い子たちのエネルギーが目に染みる。強がりで見栄っ張りで、何もかもに必死だった10年前。21歳の時の私はほんと、目もあてられない痛々しさだっただろうなと思います。みんなもそうじゃない? 21歳って結構やばくなかった?! というわけで今回は、若さがどんだけ自分の首を絞めていたかってのを振り返ってみようと思います。20代のみんな、30代はいいぞぉ〜。

あともう一人欲しくて発症した病

社会に出て3年目、21歳の秋。小劇場に友達が沢山できて、モデルの仕事にも慣れてきた頃だった。無限の体力とすっからかんの財布を活用して、来る日も来る日も友達と遊んだ。新宿で呑んで終電で吉祥寺の飲み会に合流、なんてことはザラで、タクシーに乗るお金なんてあるはずないから基本オールする。今はもう、絶対できない。絶対にタクシーに乗る人間に成り下がってしまいました。21歳は、なんだかみんな時間があった。
寂しい気持ちにならない程度には、男の子もそばにいた。本当に好きだった人もいれば、ちょっと触ってみたかっただけの人もいて、そのどちらも手の届く距離にいるのに満たされない欲求。それはたぶん性欲じゃない。チンケな承認欲求である。まだ何者でもなかったあの頃、私はそれなりにしんどかったり焦ったりしていて、だから。友達も男の子もそばにいるのに、それでもあと一人。あともう一人だけ、私を特別扱いしてくれる人間が欲しかった。あと一人いれば満たされると言い聞かせてその最後の一人を捕まえると、やっぱりさらに、あともう一人欲しかった。クソだね〜。

あともう一人を捕まえるために、なんだかよくわかんない雰囲気ばっかり出していた。「好きな食べ物は何?」と聞かれているのに「生野菜が嫌いで」と答えるみたいな、微妙に会話が成立しない状態。シンプルに「たらこです」って答えろよと思う。でもあの頃は何故か、普通の会話というものができなかったのだ。「恋人いる?」と聞かれたら「はい」か「いいえ」で答えりゃいいのに「あー(暗黒微笑)」。マジで恥ずかしいからやめた方がいい。今はそれがすごくわかる。でもわからない時代というのが誰にでもある。若い子と話すと、当時の私と同じような返答が返ってきたりするから、この現象は私の特殊な性格ではなくある時期に発症する病なのだと感じた。

「石の話」は受け取る側も体力が必要

なんか急に石の話始めたりさ、するんですよその病に罹っている人間は。「石の話」は、まぁ別に面白い。それに「アニメが好きなんです」と言われるより「石が好きなんです」と言われた方が「?!?!」とはなる。「変わった子だな」って、思うよ、思うけどさ……年を重ねて気がついたのは、そういう少し不思議な雰囲気というのは、受け取る側もそれなりに体力が必要だということだ。

「アニメ好きなんです」と言われたら「へぇ、今何にハマってる?」で済むけれど「石が好きなんです」と言われたらまず「え、石?!?!」から始めなければならない。「石が好き」という情報をすぐに理解して「へぇ、どんな石が好きなの?」とはいかないのだ。「え、石?!?!」の後に「変わってんねぇ!」もおまけしてあげないとだし。てかまず「なんで石が好きなの?」って聞かないわけにはいかないし。そうこうしている間に場は、石が好きな君の話で持ちきりになる。「なんて答えようかな……」と静かに考えていた誰かのターンというのはきっと今夜来ない。そのことに君は気づきもしない。残酷な若さだ。

あと、可哀想な石。だって、もし本当に石が好きな場合、飲み会で突然石の話を始めた時の空気ってもんを想定しているはずだ。だから、さほど親しくもない飲みの席で初手石とはならない。本当に石の素晴らしさをわかってほしい場合、その前に関係性を作り上げるのが吉である。つまり初手石は、そこまで石が好きでないからできることなわけで……となると、この場合の「石」は、その人間の少し不思議要素のためのコマでしかない。ドンマイ石。