「少し不思議」を捨てて出会わないと

自分を「少し不思議」にするために、色んなものをコマにしてしまった気がする。そうまでして手にしたかった「少し不思議」。なぜあんなに欲しかったんだろう。「少し不思議」であれば、世界のどんなものでも手に入るような気がした。可愛いとか気がきくとか、そんなことより「少し不思議」の方が強いと思っていた。実際「少し不思議」には強い魅力があると思う。「この子には他の子と違う少し不思議な魅力があるな」と思わせることができれば、その時点で自分は少し特別になるから。だけど、年を重ねて思うのは、特別ってそうやって作るものじゃないってことだ。特別は、自分で説明することじゃないのだ。

お味噌汁に隠し味で妖精の粉が入っているとしたら、そのお味噌汁は特別なお味噌汁になる。誰にとっても、妖精の粉が入ったお味噌汁は特別だ。だけど世界のどこかには、妖精の粉の入っていない、その辺で売ってるインスタントお味噌汁にお湯を注いだだけなのに「特別だ」と感じてくれる誰かがいる。その誰かと出会うには、魔法の粉を捨てなくちゃいけない。飾らない自分で、みんなと出会う必要がある。

それってとっても怖い。妖精の粉を入れておけば大抵の人は特別喜んでくれるし、石の話をする方が楽。だけど、そうやって生き続けると、どこかでガタが来る。珍しい話しなきゃとか、変わったことしなきゃとか、思っていた時が私にもあった。そうすれば少し不思議な、特別な女の子になれると思ったから。でも別になれやしない。私の特別さは本来、私から見えないんだから。他人から見て初めて特別に見えるもの、それが本当の特別さというもので、潔く「昨日カレー上手に作れたんだよね」みたいなつまんない話をできるようになってから、私は人と話すのが楽になった。
別に何話してもいいんだよ。つまんなくていいし、明日には忘れてるような今日でいい。なんて、21歳の時は思えないのよね。知ってる知ってる、絶対思えなかったから。まぁでもいつか、楽になるよ。死ぬほど痛々しかった私が言うんだから、みんな楽になるよ。41歳の私も、31歳の私に「楽になるよ」と言ってくれたらいいなと思う。

Text /長井短