あのライブを見ていたときは自分の人生を肯定できていた気がする

昔から、あまり人付き合いが得意ではなかったのかもしれない。周囲の人たちを見ていると、心的な距離感がどこか遠い。遠慮が混ざり合っている気がする。きっとこれは、私の問題なのだと思う。どうして、みんなそんな風に人と関わり合っていけるのだろうか。いまだにわからないでいる。クラスに馴染めた試しも、クラスメイトと長い間友だちでいられたこともない。

気づけばネットで友だちを作り出し、今もそのほぼ全員となんとなく音楽の趣味が似ている。音楽の趣味のみで友だちを選んではいない。というか、私に選ぶ権利なんてない。それでも、なぜか似たような趣味の人ばかりに囲まれ、最近見た映画や本、好きな食べ物やネットから得た話、説明をしなくても伝わるような人が私の周囲にはいる。

中学・高校生の頃は、シロップを好きな人なんて周りに誰もいなかった。でも大人になった今、フジロックでたまたま会った人、配信を見た友だちが山ほどいる。「あ、この人も好きだったんだ」と思うこともあった。「シロップのライブ、よかったよね」といえば、賛同してくれる人が山ほどいる。不思議だ。あの頃は、音楽の話がしたくてたまらなかったのに。今はその必要もないくらい、音楽の話を聞いてくれる人がいる。

音楽を好きにならなかったら、インターネットがなかったら。私はどうなっていたんだろう。想像ができないし、考えるだけでも怖い。でも、確実に今の自分が存在していないことはわかる。たとえば、誰かに自分の希死念慮を吐き出したとして、「生きていればいいことがあるよ」という人がいる。私も言われたことがあっただろうか、忘れてしまった。でも、そんなわけあるかよ、無責任なこと言うなよと今でも思う。でも、シロップのライブを見ながら、私は生きていてよかったと思った。あの頃死ななくて、本当によかったなと心から思った。

近いうちに本当に死んでしまうんじゃないか?と思っていた大好きなミュージシャンが、再結成後10年もバンドを続けてくれ、音源もリリースし、バンドメンバーに「ずっと尊敬しています」と言われるほどに仲がよく、健康な姿でステージに立っている。音楽を続けていくこと、フジロックに出ようと決めたこと、色んな思いを抱えながら演奏している――。

シロップを聴いていると、今でも昔の嫌な記憶が蘇ってくることがある。それでも、あの苦悩を乗り越えて生きていると、こんな場面に立ち会える日も来るのだ。辛いこと、悲しいこともたくさんあって、長年好きでい続けたバンドもいて。そうじゃないとわからなかった感覚であるようにも思う。

生きていてよかったんだろうか。別にちょっと早く死んだところで変わらなかったのかもしれない。でも、少なくとも今まで生きていなければ、大好きなフジロックに出るシロップを見ることができなかったし、あのライブを見ていたときは自分の人生をほんの少しだけ肯定できていた気がする。生きていてよかった。そんなに悪い人生じゃないのかもしれない。あの頃の音楽とインターネットにしか救われなかった私に、そう伝えてあげたい。

Text/あたそ