映画になって気づいたふたりの関係性

『ルックバック』に関しては、まあみんな見ているじゃんね……ジャンプラで原作も読めますし、あまり説明する必要はなさそうだけれど。原作を忠実に再現した作品で、ストーリーにはあえて手を加えないでいるように思えた。アニメーションというよりは漫画を動かし、藤野と京本ふたりの関係性をより明確にするための演出がとても眩しくて見ていられない。あれも手に入りそうで手に入らない青春だし、努力だけではどうにもできない美しい記憶なのだと思う。

漫画を何度も読んでいたのですべての展開も読めていたはずなのに、自分でも意味がわからないくらい泣いた。具体的に何に対して、どこがポイントで、というのが自分では説明できないくらい泣いた。逆になんで、あんなに泣けたのだろう?

原作の読み込みが甘かったのかもしれないが、映画という作品になって目の前で動く2人を見ていると、単純な親友やライバルとは言い切れない関係性に気づいてしまって、また泣く。映画ってすごいなって思った。私は信じられないくらい泣いていたのですが、隣に座る同世代くらいの男性はまったく涙を流さないでいて、びっくりしたのだった。そんなことできんのかよ。

絶対に手に入らないからこそ、その美しさに泣けてしまう

努力はダサい。ボクシングの試合で相手にボッコボコに殴られて、傷とあざだらけになった顔でリング中央に倒れて、それでも絶対に諦めないのもかっこ悪いなと思う。他の人は放課後友だちとアイスを食べたり流行ってるアイドルの話をしたり部活を頑張ったりするなか、「オタクになっちゃうよ」と馬鹿にされても、それでもなりふり構わず漫画を画き続けるのも、まあそんなにキラキラしていない。泥臭いし、地味だし、つまんないし、はなやかさなんて少しもないし。

でも、やっぱり自分でやりたいことを見つけて、夢中になって、周りの視線や忠告が気にならないくらい続けられることがあって、どうしても諦められなくて、努力を努力だと思わないくらい何かに打ち込んでいる姿はどうしようもなく美しいのだと思った。勝ち負けとか売れるとか周りから認められるとか関係なく、自分の精神やお金や時間をつぎ込んだからこそ手に入るものは必ずある。どちらの作品も、その様子を描いていくのがものすごく上手いのだ。2つとも、今見てよかったなと思う。最近は、余計に涙もろくなっている。登場人物が努力している作品を見て、すぐに泣いてしまう。それは私が手に入らなかったもので、本当に欲しかったものだったからかもしれない。

夢中になれることってあるんだろうか。今からでも見つかったりするんだろうか。共感なんてできない。だって私は自分のすべてを捧げるほど、何かを頑張った記憶って何ひとつないから。きっと私には理解しきれない境地にいて、絶対に手に入らないものだというのもわかっている。だからこそ、余計に眩しく、美しくて、その姿に涙してしまうのだと思う。

Text/あたそ