「若さ」が絶対ではない。怒りや悲しみだけで心が埋まらなくなった今が楽です

歳を重ねて強くなったわけではないけれど

年齢というものがどんどんわからなくなってくる。
自分の年齢は尋ねられたり、何かの書類やアンケートの回答欄で選択するたびに「ああ、そういえばこんな年か」と思う。人の年齢も覚えているほうが少ないくらいで、たぶん年上/おそらく年下くらいの判断基準で交友関係を広げている。

この前、少し年下の友人に「年を取りたくない」「ずっと22歳くらいでいたい」という話をされ、私は不思議に感じていた。たしかに年は取りたくない。若いほうが何かといいのかもしれない。でも、何がいいんだろう?他者からの評価が得やすかったりするのだろうか。

時間だけは平等に与えられ、同じスピードで過ぎていく。誰にだって必ず幼少期や思春期があって、そのあとは老いていく。すでに決定づけられた運命みたいなもので、絶対に抗うことができない。で、あれば受け入れるしかないのに、どうして「若い方がいい」という価値観を私たちはなんとなく持っているのだろう?と思ったりしていた。ただの数字じゃん、とは思わないけれど、人は必ず年を取るので、何ができるのか?を見つけていくしかないんじゃないか。きれいごとなのかもしれないけど。

はやく変なババアになりたい

先日、駅から自宅に戻る道を歩いていたら、不審者から声をかけられた。ナンパなのか?あれは。線引きが難しいところではあるけれど、とにかく恐怖を感じたので、不審者からの声かけということにしておきます。

横断歩道で信号が変わるのを待っている際、髪をてっぺんでお団子にしている、体格のいい50代くらいの自転車に乗った男性がいた。首もとがダルダルになっている色褪せた緑色のTシャツを着て。仙人みたいだった。ジーっと見られている気がして怖い。気のせい?被害妄想?そう思いながらも何をするでもなく青になった信号を渡り、爆音で音楽を聴きながら足を進めていく。

横断歩道から300メートルくらい進むと、人通りがほとんどない通りに出る。この日もやっぱり誰もいなかったけれど、気にせず歩いていると後ろから肩を叩かれ、振り返るとそこには仙人がいた。

えー何?気づかなかったけど、ここまでずっと着いてきたってこと?自転車で?何か落としたっけ?え、何かしてしまったっけ???

突然肩を叩かれたパニックと焦りでイヤホンを外すと、仙人から「よかったらお茶しませんか!!!」と言われたのだった。一瞬「ここで殺されたり殴られたりしても気づいてもらえないなあ」と思いながら、「いや、大丈夫です……。」と断り、早足で大通りに出る。後ろを振り返れば、仙人の姿は消えていて、諦めてくれたことがわかった。それでも怖い。脂汗をかき、心臓もバクバク鳴っている。

あの人に、私は絶対に勝てない。街中で突然声をかけてくるような人なのだから、私と同じルールや規則のなかで生きていないのかもしれない。仮に私が無視をしたり怒ったりしたら、どうなっていたのだろう?声をかけられず、ずっと気づかなかったら家も特定されていたのだろうか?住んでいるところが特定されたとしたら、どうなっていたのだろう?考えると、ちょっと怖い。

女の見た目をしていると変な人から声をかけられることが多々ある。痴漢や露出狂、ストーカーに遭遇するたび、「またか~」「まだ対象になるのか~」と思う。だって、私は別に若くないし。そもそも男ウケのよさそうな見た目でもないし。でかいし。それでも、未だに変な人には遭遇する。そういう意味で、私ははやく変なババアになりたいのかもしれない。