怒りだけ、悲しみだけで心が埋まらなくなった

私が初めて痴漢に遭ったのは14歳の頃。塾に行く途中にバイクに乗ったお兄さんに道を聞かれて、素直に答えたら胸を掴まれて逃走されたときだった。自分が性の対象になるだなんて微塵も思わなくて、30秒くらい何をされたのか理解ができなかった。これは痴漢だ、と気づいた瞬間、私は気が動転して泣き続けた。その頃から思うと、不審者からの声かけくらい慣れたものになってしまっている。たしかに恐怖はあるが、その恐怖に名前がついて、対処方法もなんとなくわかるようになったから、もうあんな風に泣いたりはしないだろう。

背後を何度か確認しつつ、家に着く頃には落ち着いていたのだが、仮について行ったとしたらどうなっていたのだろう?という興味が湧いてきた。だって、私は街中で「お茶しませんか?」と誰かに声をかけたことなんて、一度もない。声をかけたいと思ったこともない。そもそもよっぽどのことがない限り、顔を見ることも声をかけてもいいとはならないから。

何かの誘いを打算してくるということは、ある程度勝算があったのだろうか。話したいことでもあったのだろうか。まったく理解できない。あまりにも自分の思考回路とかけ離れた人なので、どのような考えを持っているかかなり興味があった。

お茶を飲んで、何をしたいのだろう?どんな話をしてくれるのだろう?まったくの他人である私を、どのようにもてなすのだろう?ついて行くことも、お茶をすることも絶対にありえないけれど、興味だけはある。私がさんざんな目に遭いそうなことだけはわかる。私はいつも自分の想像や理解を超えた人に対して、研究対象や好奇心、興味を持ちがちなのだと思う。なかなかに失礼な話ではあると理解しているけれど。

ナンパも痴漢もストーカーも今すぐに消滅してほしいし、どのような理由であれ加害者が圧倒的な悪だと思っている。でも、残念ながら0になることはない気がする。性別から生じる問題は、加齢とともになくなるわけではないし、30代だって50代だって90代だってそれなりに起きるのだろうと思う。

普通に生活しているだけなのに、いろんなことが起きる。いいことも悪いことも毎日飽きるくらい起きる。でも、どうするべきなのか?どうしたらいいのか?はなんとなく過去の経験からわかってくる。感情的になることも少なくなって、昔よりずいぶんと余裕を持ちながら客観視できるようになってきた気がする。怒りだけ、悲しみだけで心のなかが埋まることがなくなった。とても楽だ、と思う。いろんな可能性を考えながら、プラスとマイナス両方の感情を天秤にかけつつ、あらゆる選択肢から自分のもっとも希望する道を選べるようになってきたように感じることがある。

不審者から声をかけられたあと、冷静になると、あ~年取ったな~と思う。その3時間後には、最寄りのコンビニでアイスと缶ビールとつまみを買って、食べながら帰宅する。5年前の私は、「また会ったらどうしよう」という不安と恐怖で、しばらく外にも出られなかった。それは被害妄想の類ではなくて、とにかく怖かった。でも今はそんな恐怖もない。強くなったわけでもないけれど、昔ほど恐ろしさを感じなくなっている。

その不審者は、きっと私のことなんて覚えていない。すぐに忘れる。女という記号としか認識されていないはずだから、きっと再び遭遇したところで私のことなんてわからない。わからなくていい。私は、自分のことを馬鹿だなとも、図太くなったなとも思う。何もなくてよかったし、もう二度と同じ目には遭いたくないけれど。

Text/あたそ