出産未経験の女性の言い分は「言い訳がましい」?『母にはなれないかもしれない』で決断の理由を知る

「大人になってからの友達作りは難しい」「友達が結婚したり子供が産まれたりすると疎遠になってしまう」、だから君も結婚して出産して孤独にならないようにしよう!――と誘導する主張には、一貫して「そんなことないぞ!」と言い続けている私である。

大人になってからも友達はできるし、小さい子供がいるお母さんたちだって、徹夜で漫画を描いて同人誌即売会に出まくっている(これは……無理しないでほしい)。自分と友達の間に、ライフスタイルの影響を受けにくい共通の話題(推し、マンガ、ドラマ、映画など)があれば、属性を超えてなんだかんだ友情は続くものである。

しかし、それでもなお「40代以降になると寂しくなるかもしれない……」と不安な人のために、私は最終手段を編み出した。それは、「子供が高校生以上で、子育てがほぼ終わっているアラフィフぐらいの女を狙って友達になること」です。私は最近、子供はもう独立して社会人、自身はシングルというアラフィフの女性と友達になったのだけど、子供が家を出たシングルマザーは独身女性と可処分時間がほぼ変わらないため、同じ感覚で遊べるのである。そういう女性と「◯巻△話の3ページ目の2コマ目をどう解釈するか」みたいな話をしていると2時間くらい勝手に経つのでおすすめです。

と、まあ気の合う友達はそう狙ってできるものじゃないし、これは半分冗談だけど……とにかく、結婚や出産によって女性同士の間に分断が起こる(と思わされる)ことに、私は何としても抗っていきたい所存。そんな中、今回は最近読んだ若林理央さんの『母にはなれないかもしれない』について、語らせてほしい。

若林理央・著「母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド」の書影

言い訳がましく聞こえるのはなぜ?

本書は、「子供を産まない」ことを選択した6人の女性に対して、著者の若林さんが行ったインタビューをまとめたものだ。巻末には、作家の佐々木ののかさんとの対談も載っている。なお、若林さん自身も「産まない」選択をした女性だ。

読んでいくとわかるのは、20代の時点で「産まない」と決めている人もいれば、40代で不妊治療を諦めた結果「産まない」と決めた人まで、当たり前だがさまざまな女性がいるということ。

実はこのコラムを書く前に、某サイトで本書を読んだ人の感想に目を通したのだが、そこに「(子供を産んだ人が書いたと思われる)言い訳がましい」というコメントがあったのが、私は少々ショックだった。

いや、これはねー、違うんですよ。結婚したり子供を産んだり、いわゆる「王道の人生」を歩んだ人は、「どうして結婚したの?」「どうして産んだの?」と他人に聞かれることはあまりないだろう。が、「王道から外れた人生」を行く人は選択の理由を聞かれることが多いため、何手も先にまわって回答を用意しておかなくてはいけないのです。結果、なんだかすごく言い訳がましくなってしまうのです! おそらく既婚者がマイノリティの世の中になったら、「どうして結婚したの?」をあちこちで聞かれるため、今度はそちらが言い訳がましいように聞こえるんだと思う。

私もそうだが、多くの人は実際のところ、今の人生を歩んでいるのは「成り行き」である。結婚した人だって、結婚したいタイミングでたまたま恋人がいて、彼/彼女にもその気があったので入籍に至ったという人がほとんどじゃないだろうか(頑張って婚活した人もいるだろうが)。自然妊娠した人は、もし子供ができにくい体だった場合、ifワールドの自分は多額のお金と時間をかけてまで不妊治療をしただろうかと考えてみてほしい。人生の重大な選択って、意外と「なんとなく」行っているものだ。私も、「子供は正直なところ、欲しいとも欲しくないとも思わないのでどっちでもいいな〜」という感じで今に至っている。