海外旅行は「なんとかなる」と思える。なのに日常はなぜ不安だらけなのだろうか

インド・ナガランド州に旅行へ

インド旅行をする女性の画像
Ibrahim Rifath

この記事がアップされている頃、きっと私はインド・ナガランド州のコヒマというところで、少数民族の集う祭りに参加しているはずである。

ナガランドは、インドであってインドではないらしい。インド人ですらなかなか観光に行かないところだそうで、『地球の歩き方』には2ページしか割かれていないし旅行ブログも全然出て来なかったりする。美味しいレストランや具体的な交通手段については、今の段階でほぼわかっていない。

日本人そっくりのモンゴロイド系の民族が複数あり、50年ほど前まで首狩りの文化があったらしい。男性は首を狩ったことがないと、結婚すらできなかったと本で読んだ。
2020年に禁止されたらしいが、犬肉を食べる文化もある。ちなみに私はかつてラブラドール・レトリバーを4頭飼っていたほど大の犬好きではあるが、人の暮らしを成り立たせている何かの文化を否定する権利は私にはないと考えているし、鶏豚牛がよくてなぜ犬はダメなのか? がはっきりと答えられない。そのため、犬肉を食べる文化に対して特に思うことはない。美味しいんですかね? 雑食だからそんなにいいものではない気がする。

会社から5年勤続休暇を5日間いただき、どうにか今年中に使わないとな~とか考えていたら11月下旬というギリギリのタイミングになってしまった。この時期に少数民族の祭りがあると知って、急遽海外旅行を決行することとしたのだった。

旅行は「なんとかなる」

なんなんですかね? 友達とかにも「パリとかニューヨークにすればいいのに」と言われるんですが、興味がない。私が見たいのは都会の様子でも西洋化してしまった人たちでもなく、その地域に根差した人々の生活が見たい。好きになると、とことん追求してしまう。周りが見えなくなるくらい、夢中になってしまう。その結果が今の私で、研究者でもなんでもないのに、20時間かけてインドの奥地へと向かうことになった。ちなみに、ゴキブリもかなり多いらしく、今から怯えている。どうしようかな……できる限り対面したくはないのだが。

以前、今度アメリカに行くという友達が「交通手段があるかどうかわからなくて心配している」と言っていたのだが、私にはこの手の心配がまったくない。幾度も海外の「普通、そこには行かないだろ!」という場所を旅行していきて、絶対になんとかしてきたからである。交通手段だけではなく、宿があるかわからない、目的地にたどり着けるかどうかわからない……恐らく1度や2度ではないのだが、現地にいけばとりあえずなんとかなる。そういう経験を何度もしてきた。私個人の経験にはなるけれど、人が住んでいるところに行けばとにかくなんとかなる、というのが見解なのです。

そのため、今回もそれほど下調べをしていないしスケジュールも組んでいないのだが、なんの心配もしていない。まあ、ひとりだしなんとかなるだろうと思っている。この「なんとかなる」というのはさまざまな経験に基づくものなのだろう。だって、今までもなんとかなっているんだし。

海外旅行は楽観的でも…

海外旅行に関しては、これだけ自信をもって「大丈夫」だと思えるのに、どうして日常生活や人間関係については不安だらけなのだろう。想像を超えるようなひどいことになったことはないし、海外旅行よりもずっと触れている時間は長いはずなのに、どうしても自分に自信が持てなくて、「なんとかなる」なんて絶対に思えなくて、どうしよもなく心配になってしまう。不確定な未来が怖い。他者との関わりという自分で制御できない感情や感覚が流れ込んでくると、どうもうまくいかなくなる。器用に立ち回れたことなんてなくて、いつもボロボロになっている気がする。

結局、自分の欠点やダメなところばかり気にしてしまうし、そこしか見えなくなってしまう。自分に自信が持てたことなんて一度もない。旅行に対して「まあ、なんとかなるだろう」と思うくらい自分に対して楽観的に考えられればいいのに。全然できない。もうこれは自分の性質みたいなもので、きっと不安や自信のなさをなんとかひた隠しながらそれでも虚勢を張って自信に変えていくしかないのかもしれないけれど。

TEXT/あたそ