周りに合わせて「アラサー女子」っぽい自虐発言をするのはサボりではないか

私はかねてより、「自己肯定感がものすごく高いと、社会的な成功を掴みづらくなるのではないか」説を唱えている。もちろん程度の問題ではあるし、社会的な成功を掴めなくても結果的に、自分自身が本当に満足のいく人生を送れるならそっちのほうがよいだろう。しかし、社会的な成功とはまじで、本当に縁遠くなる。なぜなら、自己肯定感が高い状態の人間は「他人の期待に応えたい」という思考回路がほとんど根絶されているからだ。ソースは私。
物心ついた頃から「こういう反応をすると周囲が喜ぶだろう」とわかっていても自分の本心が違えばその期待には応えられなかったし、「親が喜ぶ」「恋人が喜ぶ」「周囲に認められる」を原動力に行動を起こしたことがほとんどゼロに近い。自分がやりたいかやりたくないか、自分が面白いと思うか思わないかだけを軸にさまざまな選択を重ねてきた結果、私は今の自分の人生に満足しているが、欲を言うともうちょっと周囲に認められたかったし、社会的にも成功したかったな〜なんて考えてしまう。
26歳くらいまで自己肯定感が低くて、アラサーくらいで恋愛や結婚を通して自己肯定感を高め、その後の30代で自分が本当にやりたかったことに気づいていく……というある意味では王道的な人生が、「周囲の期待に応える」「自分のやりたいことをやる」のバランスが取れていていちばん真っ当な道を歩めそう。こんなことを考えてしまうのもまた、「隣の芝生は青く見える」現象のひとつだろうか。

思わずそんな振り返りをしてしまったのは、村田沙耶香さんのエッセイ『きれいなシワの作り方〜淑女の思春期病』を読んだから。本作は、2013年からananで連載していた村田沙耶香さんのエッセイを、2015年に書籍化したものだ。

「アラサー女子っぽい」ことを言えば盛り上がる

雑誌連載のエッセイだけあって、本作は恋愛や美容やファッションなどの話題について、まったく気負わずに軽い感じで読むことができる。しかし、私はあるページを読んだとき、少しだけ手が止まってしまった。その章とは「演技アラサー女子」

エッセイの中で、村田さんは30代前半の一時期、「アラサー女子っぽい」ことをたくさん喋ってしまっていたと振り返る。同世代の女性で集まって、婚活の話をしたり、結婚してくれない彼氏の話をしたりする。切実な悩みをときに自虐を交えて語り、「アラサー女子っぽい」ことを言えば言うほど、場は盛り上がったという。自分を記号化された「アラサー女子」とすることで、自分の「本当の言葉」を探すのをサボっていたのではないかと、村田さんは振り返るのだ。

この感じには非常に既視感があるというか、私自身にも覚えがある。まさしく28〜32歳くらいのアラサーだった頃、「たぶんこの場では恋愛に悩んでるっぽいことを言ったほうがいいんだろうな」とか、「たぶんこの人は私に女性性における何かをこじらせていてほしいんだろうな」とか、そういう空気をビシバシ感じ取っては疲れていた。良くも悪くも嘘が付けない私は結局「アラサー女子っぽい」ことが言えず、その場を微妙な空気にしてしまい帰り道で反省していたのだが、おそらく「本当はこんなこと思ってないけど」とわかりつつ場に合わせて「アラサー女子っぽい」ことを言っていた人もあの場にはいたのだろう。きっと私だけが変人だったわけではないんだろうなと、この章を読んで少し安心した。