結婚やキャリアについて「考えていません!」と著名な女性写真家が答えた理由

数年前、ある著名人のトークショーに行ったときの話だ。その著名人は国内外で活躍する女性写真家で、好きなことを思う存分に仕事にできてはいるものの、海外に長期滞在することも少なくなかったため、おそらく会場の観客は疑問に思ったのだろう。質疑応答タイムで、「結婚や出産も含めた、今後のキャリアをどう考えていますか?」という質問が女性のお客さんから出た。

女性写真家は何と回答したかというと……そのときの答えは、「考えていません!」であった。質問をしたお客さんはポカンとしていたが、私は、この答えは名回答だったのではないかと今でも思っている。

結婚や出産やキャリアについて「考えていません!」が名回答だと思うという私の意見に同意してくれる人は今の日本にはなかなかいないだろうが、なぜその女性写真家の回答が「考えていません!」なのか、そしてなぜ私がそれに賛同するのかについては、今回紹介する書籍で説明できる。小川さやかさんの『その日暮らしの人類学 もう一つの資本主義経済』だ。本書は、著者がタンザニアに滞在し参与観察を行った経験などから、「Living for Today」という生き方について改めて考えさせてくれる本である。

「今後のキャリア」どころか保存食すらない社会

本の内容を見るより先に、「考えていません!」という回答の背景を、もう少し説明する必要があるだろう(会場ではもちろん、女性写真家が自ら説明していた)。女性写真家は取材でアフリカの都市に滞在することも少なくなかったため、おそらくこの感覚をアフリカで養ったのだと思うが、「結婚や出産も含めた、今後のキャリアを考える」というのは実はすごく日本社会的な(というか、現代社会的な)発想だ。私たちは勉強、就職、貯金、恋愛や結婚、妊娠や出産などを、当たり前のように10年、20年先のことを考えながら行う。そして、それが賞賛される社会を生きている。むしろ、この逆をいく「Living for Today(その日暮らし)」な生き方をすると、社会不適合者の烙印を押されてしまう。

しかし、10年、20年先のことなんて誰も考えていない社会というのも地球上には存在する。代表的なのは、本で言及されるアマゾン奥地の民族「ピダハン」だろう。ピダハンの社会では、まず保存食がない。何日か先のために食べ物を確保しておくという発想がないらしく、その日あるものを食べ、食べるものがない日は食べないそうだ。さらに、葬式も結婚式も創世神話も口承伝説も、「ありがとう」や「こんにちは」などの挨拶に該当する言語も、左右の概念もないらしい。ピダハンの社会ではもちろん、「結婚や出産も含めた、今後のキャリアをどう考えていますか?」なんて質問は無意味である。

タンザニアの社会はピダハンほど極端ではないが、著者は町を歩いているとき、「ご飯を食べて行け」と頻繁に呼び止められたという。しかし、呼び止めた家は決して裕福なわけではない。客に食べるものを分け与えたら、自分たち家族の食べるものがなくなってしまうくらい家計に余裕がない場合もある。それなのになぜそのへんを歩いている他人に食べるものを与えるのかというと、「嫉妬をかわすため」らしい。あそこの家は裕福だと思われると、いずれはたかられて大損することになる。それなら、小さくたくさん損をして嫉妬をかわすほうがマシ、という考えらしい。その日食べるものがなくなっても、それは運であり、偶然や出会いに対処することは楽しみでもある。このような社会も、やはり「今後のキャリア」という発想は生まれづらいだろう。