自分へ向ける愛は適量がわかる

『ピクニック』の他に私が好きだったのは『愛を適量』だろうか。主人公の男性教師は、かなり昔に妻と離婚し、娘とも長く会っていない。しかし、久しぶりにその娘が独り暮らしの主人公の家を訪ねてくる。アラサーになった娘は、トランスジェンダーのFtMで、自分のことを「俺」と呼び、タイで性別適合手術を受けようとしていた。

息子になろうとしている娘は、母親と絶縁したらしく、しばらく主人公の家に居候することになる。息子は主人公に、コンビニ飯ではなく自炊をするように勧めたり、眉を整え身だしなみに気を遣うよう助言したりする。親子の間にできた溝は物語の最後までなくなりはしないが、主人公は息子との束の間の共同生活を経て、少しずつ「自分で自分を喜ばせる」術を覚えていく。他者へ向ける愛はときに傲慢で適量を見誤ることもあるけれど、自分へ向ける愛は加減がわかるから、多少は適量がわかる。タイトルにはそういう意味も込められている。

いろいろな家庭があって、人生がある。『スモールワールズ』を始め、小説が教えてくれることってやっぱりそういうことなんじゃないかと思う。私はこれからも「地雷」系報道やツイートを見てはダメージを食らうんだろうけど、その度に『ピクニック』や『愛を適量』のことを思い出せば、少し救われるんじゃないかという気がする。思い当たる人がいたらぜひ、『スモールワールズ』を手に取ってみてください。

Text/チェコ好き(和田真里奈)