当たり前といえば当たり前だけど、「どういう人を魅力的と思うか」は、年代によって価値観が大きく異なる。小学生は足が速い子を魅力的と思うし、中学生は影のあるヤンキーをかっこいいと思うし、高校生や大学生はちょっと打算的に、偏差値が高い学校に所属している子が人気を集めたりする。就職したばっかりの20代は、所属している会社組織だったり、飲み会を盛り上げるのが上手な人だったり……あとはまあ、どの年代でも容姿が美しい人は普遍的にモテるだろう。
で、今、私は30代半ば。もしかしたら人生で初めて、「隣の人がどういう人を魅力的と思うかまったく想像できない」ゾーンに、突入してしまった感がある。30代前半くらいまでは「(厳密に言えば自分自身の好みとは違ったとしても)こういう人はまあモテるよね」という共通認識を同年代であれば持っていたような気がするのだが、今、私はそれがまったくわからないのだ。
もちろんわからなくても日常で特に困ることはないけれど、今の30〜40代が「魅力的」と思う人って、いったいどんな人だろうなあ。あれか、丁寧な暮らしをしている人か!? それとも、精神的に自立している人? いずれにせよ、昔に比べると抽象度が上がってしまって、「モテ」の共通認識みたいなものがここへ来てついになくなってしまったように感じている。
というわけで、今から語るのは私が思う「魅力的な人」の話であって、おそらくこれを読んでいるあなたはまったく共感できないはずだ。30代半ば、今の私が思う「魅力的な人」は――「“人間”を書ける人」である。
“人間”を書くのって、すごく難しい!
ジョン・グリシャム著・村上春樹訳の『グレート・ギャツビーを追え』を、最近になって読んだ。
プリンストン大学からスコット・フィッツジェラルドによる『グレート・ギャツビー』の生原稿が盗まれてしまい、おとり捜査を依頼された女性作家が、消えた原稿の行方を追って独立系書店経営者に接近する……というのがあらすじである。第1章でFBIやらハッカーやらが出てくるのでミステリーやサスペンスのような内容を期待してしまうが、凝った伏線やトリックはなし、描かれるのはひたすらに“人間”だ。そして生原稿をめぐる物語でもあるので、登場人物の作家たちが「小説の中でいかにして“人間”を書くか」なんて会話をメタ的に展開しており、これがなかなか面白かった。
原作のある作品の二次創作をしてみると実感するのだが、“人間”を書くのはとても難しい。というか、二次創作がこんなに楽しい理由って、“人間”を作るというもっとも難しく才能が必要な作業を原作にすでにやってもらっていて、あとはその出来上がった“人間”を動かしてみるだけでいいからなんだな、と気がついた。もちろんその動かしてみる部分にも技量はいるけど、キャラクターさえ作ってしまえばあとは物語が勝手に動く、という感覚を私は二次創作によって初めて掴んだ気がする。
「大抵の作家はまず最初に人物がやって来るんだって言う。その人たちがいったんステージに上がれば、プロットは自然に浮かんでくるって。あなたはそうじゃないの?」(p.217)なんて主人公の女性作家が仲間の作家に聞かれているシーンがあるが、この「人物がやって来る」ところまでキャラクターを作り上げるのが、おそらくいちばん難しい。キャラクターはもちろんキャラクターでしかないのだが、“人間”を作るのって、ほとんど魔法みたいだなと思う瞬間が確かにある。二次創作はそこを外注させてもらっているわけだけど、それでも上手くいくと、まるで世界を創造する魔法を使えるようになったみたいな、ちょっと他にはない開放感を味わうことができる。創作は本当に、すっごく楽しい!
- 1
- 2