「つまらない」と失望されることが怖い

人と飲むのも話をするのも好きだ。新しい知り合いが増えるのも、人に興味を持ってもらえるのも喜ぶべきことであるという認識はある。けれど、たぶんそれは私の本当の姿ではない。ずっと「面白い人」「個性的な人」「変わっている人」と認識され、その認識に逸れない自分を演じ続ける。その役から降りるのは私にはできなくて、ずっとずっと自分で自分を傷つけながら人と関わって、仲良くなれないとか親しい関係になれないとか喚くのだ。馬鹿みたいである。

先日、ほとんどしゃべったことのない営業の人に誘われ、その人の友達だという2人、計4人で飲み会をした。「前から変な人だな、って思って飲んでみたかったんですよね」から始まり、主に会社の悪口や学歴、恋愛の話をして2時間くらい、私はこの営業の人の想う「変な人」の役に徹し続けて、ほとほと疲れてしまった。

大学卒業してから何年経ったと思っているのだろう、なんで初対面の人の恋愛の話を聞かなきゃいけないんだろう、どうしてこの時代に他人の容姿を馬鹿にする発言ができるんだろう、そう思いながらできるだけ面白い反応、面白い話、面白いリアクションをして、その場限りだけでも盛り上がるよう、私は変な人でい続けた。なんで、あんなことする必要があったのだろう。

でも、私にはわからない。今まで人に興味を持ってもらって、仲良くなることのほうが圧倒的に多かったから。変でも個性的でもない私に、誰が興味を持ってくれるのだろう。きちんと対話のできる関係を築くことができるのだろう。自分から人のどんなところに興味を持てばいいのか、興味をもった人とどんな風に仲良くなればいいのか、馬鹿みたいに振る舞うことはできるのに、一人の芯の強い人間としての振る舞いが私にはわからない。

たぶん、私は不安なのだ。人から、「つまらない」「面白くない」と失望されることが。嫌われることよりも、「思ったよりは……」と残念に思われることのほうがずっと怖い。

私は、本当に「面白い人」「個性的な人」「変わっている人」なんだろうか? いつまで? 誰といるときも?

つまらなくても、退屈でも、面白くなくてもいい。そういう自分を受け入れられないと、きっと今までと同じように自分を大切にできなくて、自傷行為のような酒の飲み方・人との関わり方しかできないままだ。

Text/あたそ

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