「独身は自分勝手で未熟」なのか――南米の熱風でそんなコンプレックスを吹き飛ばす、『コレラの時代の愛』

by Joshua Reddekopp

いつも素敵な部屋写真をアップされ、ずっとインテリアの参考にしていた30代後半独身のインスタグラマーの方が、先日、ついに結婚してしまった。結婚自体はおめでたいのだが、「ま、待って」という気持ちになったのもまた事実。何を「待って」ほしいのかというと、30代後半独身のインテリアって、参考にさせてもらえる人がすごく少なくて貴重なのだ。ひとり暮らしと2人以上暮らしだと部屋の大きさとか仕様がぜんぜん違うし、20代独身の人のインテリアは、好みが若過ぎて参考にできないことが多い(韓国風インテリアって何?)。私は自分が結婚したい気持ちはもうほとんど残っていないけど、暮らしの参考にできる人が年々減っていくのは少し寂しい。まあ、これからはきっと離婚した独身復帰組がちょっとずつ増えていくだろうから、インテリアの参考はそちらの方々に希望を託すとして……。

私の場合、年齢とともに図太くなっていくのか、そんな感じで独身ゆえのコンプレックスもだんだんなくなってきている。さらに最近、わりと根深かった最後のコンプレックスまでが、解消に向かい始めた。私の最後のコンプレックスとは、「独身は自分勝手で未熟」「人と人との深い付き合いをわかってない」みたいな世間のイメージを内面化し過ぎ、「どうせ私にはわからないですよ」と映画・アニメ・漫画のラブストーリーがすごく苦手だったことだ。

解消のきっかけはまたも二次創作で、私が書いた渾身の推しカプ小説(約10万字)が、子持ち主婦が多い界隈で大変な好評を得たことに始まる。いや所詮は二次創作でしょと思うだろうが、「どんな人生経験を積んだらこんなに深い愛の物語が書けるのか」とある主婦のフォロワーから感想をもらったときは、30代半ばの独身でも、読者の心に残るラブストーリーが書けるくらいの人の心の機微はわかるぞ」と、妙な自信を得てしまった。

519ヶ月と4日待った結果

そんな私のみみっちい話はいいとして、今回語らせてもらいたいのはもっと壮大な、独身の「愛」の物語である。ガルシア=マルケスの『コレラの時代の愛』の主人公、フロレンティーノ・アリーサは、17歳のときに4つ下の女性フェルミーナ・ダーサに一目惚れ。しかし恋は実らず、フェルミーナ・ダーサは、やがて医師であるウルビーノ博士と結婚してしまう。そこから熱い不倫の物語が始まる……のではなく、なんとフロレンティーノ・アリーサは、ウルビーノ博士が世を去りフェルミーナ・ダーサが再び独身になるのを待つのだ。待った期間、なんと519ヶ月と4日。50年以上1人の女性を思い続けて独身のまま待つなんて、物理的には可能だけどもはやファンタジーの域である。でもやっぱり物理的には可能なので、ガルシア=マルケスはこんなことを言っている。

「こういうストーリーは、現実というのはどの程度までたわめ、ゆがめることができるのか、本当らしく見える限界というのはどのあたりにあるのかといったことを知ることができるので、わたしは大好きなんだ。本当らしさの限界というのは、われわれが考えているよりももっと広がりのあるものなんだ」

『コレラの時代の愛』 (p.519)

50年以上1人の女性を思い続けて独身のまま待つなんて不可能――しかし、『コレラの時代の愛』は、徹底したリアリズムの小説として書かれている。ちなみに「1人の女性を思い続けて待つ」というとものすごい純愛物語みたいだが、フロレンティーノ・アリーサは50年以上の独身期間で、経験人数600人超えを遂げている。そして50年以上の時を経て思いを告げたあと、76歳と72歳になった2人はベッドインするのだが、フロレンティーノ・アリーサは600人切りのくせに「君のために童貞を守り通したんだよ」などと言う。どれもこれもあり得ないように思えるけど、しかし物理的には可能なことばかりなので、『コレラの時代の愛』はやっぱり「本当らしさ」の限界を突き詰めたリアリズムの小説なのだ。