「少なくともそのときはそれが一番だと思った」のならもう十分

わたしたちは無理やり結婚させられたわけではなかった。家族の水槽から勝手にすくいあげられたわけでも、同意なくその家に押しこめられたわけでもない。自分でそれを選び、なんらかの理由で、少なくともそのときはそれが一番だと思ったのだ。別れる理由ははるかに曖昧だったが、くつがえせないのは同じだった。 (p.45)

引用した部分は、『赤い魚の夫婦』の最後の文章だ。ベタだって、菌だって、蛇だって、人間だって、生き物はマニュアル通りにはいかない。もちろん上手くやろうと努力することが無駄なわけじゃない。でも最終的には、小説の最後にある通り、「少なくともそのときはそれが一番だと思った」のなら十分で、それ以上はやりようがないのではないか。グロテスクで身も蓋もないけど、『赤い魚の夫婦』の5つの短編にはそれぞれ、そんな明るい諦念みたいなものが込められているように思う。

チェック項目からこぼれ落ちてしまうものや、格言と格言の間にあるグレーなものなんて、無視してしまいたい人だっているだろう。でもいくら無視したってやっぱりそういうものは私たちのまわりを漂い続けているわけで、それをすくうのが小説である。生活の中のいろいろなことが思い通りにいかないときは、思い通りになるように頑張るのもいいけど、いっそ『赤い魚の夫婦』を読んで明るく諦めてしまうのも、アリかもしれない。

Text/チェコ好き(和田真里奈)