自分自身の「倫理にあらず」と向き合う

少しネタバレになってしまうかもしれないが、私が『血も涙もある』の中で最も印象に残ったのは、物語の終盤に登場する「前に言ったろ? 多数を味方に付けてる女より、誰も味方のない単数でいる女のほうがそそるって(p.220)」というセリフだった。

このセリフだけ切り出すと、まるで妻よりも愛人のほうがそそるという男性の勝手な言い分に聞こえるが、もちろん小説も現実社会も、そう簡単ではない。圧倒的な正しさと太陽のような眩しさをもって多数を味方につけ、太郎にとって一度は「そそらない女」となってしまった沢口喜久江だが、ラストで多数を味方につけるのをやめ、長年の夫婦生活で被ってきた仮面を脱ぎ、妻は太郎にとって再び「そそる女」に戻るのだ。

そそる・そそらないというとあくまで恋愛関係におけるそれのように聞こえるけど、これは何も恋愛に限らず、友人関係や、上司部下、同僚、あるいはその他の人間関係にも当てはまるような気が私にはする。もちろん男女も関係ない。多数を味方につけているより、誰も味方のいない単数でいるほうが、なんとなく、人は魅力的でいられるのではないだろうか。

「不倫」は一般的には、既婚者が自分の妻/夫ではない人間と関係を結ぶことを指す。しかし物語を通して、沢口喜久江と、太郎と、和泉桃子はそれぞれ、世間一般の意味ではなく自分自身にとっての「不倫」、「倫理にあらず」なことと向き合っていく。

恋愛的な意味に限らず、今、自分は誰かにとって「そそる」存在でいられているだろうか? と疑問に思ったときは、そういうわけで、『血も涙もある』を読むといいかもしれない。

きっと、何かしらのヒントが見つかると思う。

Text/チェコ好き(和田真里奈)