どうやら自分はみんなと違う
自分がみんな違うってことに気付いたのはいつだろう?
私が強く感じるようになったのは多分27歳くらい。つい最近のこと。
私ってなんだか喋り方に抑揚がないし、暗いし、コミュ障で友達と旅行にすら行ったことがない。どうしてかいつも誰かと付き合うと相手に敵意むき出しにされて破局するし、合コンに行けば必ず孤立する。下戸だから居酒屋では烏龍茶しか飲まないし、そもそも空気が読めないから飲み会には呼ばれない。
なんか自分ってどこで誰といても浮いてんな、といった感じだ。
さすがに30歳も近くなってきて加齢を意識し始めると人間諦めが良くなるようで、自分が普通じゃないってことを受け入れるようになった。(普通=みんなと同じ、という曖昧な意味にしておく)
それでもやっぱり、周りと違うことって嬉しくない。
今思えば、私が「普通」に強くしがみつくようになったのは小学生時代のいじめがきっかけだ。
みんなと一緒になりたくて必死だった子ども時代
「人と違うことをやりなさい」
これは幼い頃、母親にしつこく言われていた教え。
まだ小学生の私にはその意味や意図が全くわからなかった。「人と違っても気にしない」ならわかるんだけど。
私はこの教えがものすごく嫌いだった。
今の子どもたちはどうか知らないけど、当時は人と違うことが個性として受け入れられることはほとんどなかったんじゃないかと思う。個性的っていうのは、イコール変人という意味だった。良い意味じゃない。
だから、残酷な話だけどいじめられる子は決まってみんなとどこか違っていた。もちろん私もそのうちの一人。
みんなと違うやつはいじめられる運命だった
「みんなと同じじゃないやつは仲間じゃない。仲間じゃないからおんなじ人間扱いをしなくていい。人間じゃなかったらこいつはなんだろう、バイ菌だ!」
……こういう流れでいじめられる子は菌扱いされていたような気がする。机すらくっつけてもらえず、座布団なんて蹴飛ばされて、物を隠されたり悪戯されたりしていた。
ところがそこには善悪が存在しなかった。大人の理屈で考えれば理解不能だろう。
私は弱者側だったから言えることだけど、こっちだってバイ菌にはなりたくなかった。酷いことだとは思っても、彼らのやってることが間違っているとは思わなかった。そんなことよりもどうすれば生き残れるのか必死だったのだ。
生き残るために必死だった
私たちは常に安全な場所で楽をして生きたくて、そのためには強くなくちゃいけない。自分が強くあるか、強い者のそばにいるか。そうしたらある程度の自由が許される。だからその座を守るためには強さを見せつけなくちゃいけない。
これがいじめる側の理屈だと思われる。(多分、あの狭い空間に長い期間20〜30人近くの同い年と過ごすからこういうことが起きやすくなるような気がする)
自分の地位を守るための犠牲が、強者に求められていた。いじめっていうものは幼い子供にとっては一番手早く思いつく手段なんだろう。
しかしこれには大きな欠点がある。誰かが犠牲になったら、次の犠牲を探さなくちゃいけない。それを見つけることがとてつもなく難しくて無謀なことだってことをみんな無意識に理解していたはず。
だからいじめは黙って見て見ぬふりをするしかなかったし、場合によっては加担して強者の仲間なフリをするしかなかったのかもしれない。
しかも、犠牲が終わったからといって元の生活にはもう戻らない。そのこともわかりきっていた。なおさら自分が犠牲者に選ばれるわけにはいかない。
子ども時代を振り返ると、存在することすら許されなかった過酷な日々を思い出す。私はそこまでひどいいじめは受けていないのだけど、それでも戻りたいとは思えない。
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