もう一軒のお隣さんは?

ただ、一番奥の住人と顔を合わせることはできたものの、隣家のドアノブにはいつまで経っても紙袋がぶら下がったままです。外にまったく出掛けないのかな……と不思議に思っていた三日後の朝、ゴミを出すために玄関を開けると、隣の家のドアが全開に開いているのを見つけました。

「おお! いる!」と思った次の瞬間、隣家の玄関から慌てた様子の50代くらいの女性が掛け出てきて、「この度は! 弟がご迷惑をおかけしてすみません!!!」と頭を下げるではないですか。続けて、女性は隣家に住む男性の姉であると名乗り、隣家の住人は闘病中だったのが、ここ数日連絡が取れなくなっていたこと。そして、今日、様子を見に着たら、お亡くなりになった状態で発見されたという説明を始めたのです。マジか!

恐らくは二日か三日の間、壁一枚隔てた向こうに、人の亡骸があったというと、さすがにビビります。しかも引っ越し早々に。誰かにこの興奮をシェアしたい気持ちでもって、仕事先の編集部で「寒い時期でよかった」とか「そういえば普段はあまり吠えない飼い犬がやたら吠えていたけれども、そのせいだったのか」というようなことを、知人のライター氏に報告していたところ、氏から返ってきたのは「おおっ、作家らしくなってきたね!」という言葉でした。

作家というものは…

いわく「作家というものは、身の回りで、面白いことや変わった事件が起きる運命にある」。だから、引っ越して三日目に、隣人の死体が隣の部屋にあったというエピソードを語れることがもう、作家としての才能だというのです。そういうもの?……と若干の疑問もありつつも、意外とこの言葉は励ましになり、その後、どんなに理不尽で酷い目に巻き込まれても「これはわたしの作家としての才能……」と思えば、ニンマリとできるようになりました。

このエッセイを読んでくださっている人の、すべてが作家ではないにしろ、なんらかのSNSで発信されている方も少なくないのではないでしょうか。例えツライことや悲しいことがあったとしても、そのエピソードを持てることは“才能”であり、発信のネタとなる。そう思うと困難も楽しめる。このマインドセット、明るく生きるためにけっこう便利なので、「なんでわたしばっかりツライめに遭うの?」という方はぜひご活用いただけますと幸いです。

Text/大泉りか