「受け流せてこそ、いい女」に失望した

今思い返してみると、私は何かサービスを受ける際、男性が担当者になると高確率でトラブルに発展する。ここ数年は特にそうだ。整体師に髪を触られたりセクハラ紛いの発言をされたり、美容師に「なんでこんな髪型にしちゃったんですか(笑)」とか「まあ、どうせ教えてもスタイリングとかしないじゃないですか」とか、失礼なこと言われたり。何度か通って顔見知りの店員ができた居酒屋の店員にも「早く子ども産まないと」とかなんとか、鼻で笑われたこともある。

なんでなんでしょうね、馬鹿にされやすいのかな。でも、嫌な気持ちになる確率が高いからといって性別を理由に態度を変えるのはなんか違う気がするし、何より個人の信念に反する。何度も同じような目に合っているのに、正しい対応ができない自分にも、その場でただへらへらするだけで直視しない自分にも腹が立つ。本当にマズい段階にならないと不快感を露わにしないし、行動に移すことができない。でも、私はどうしたらよかったんだろう。何が正解なんだろう。いまだに具体的な解決策が見いだせないでいる。

この手の、私が女性でなければ受けなかった出来事から生まれた不快感を、早い段階で気づいて認めて行動できないのは、過去の自分が受けた経験や記憶がいつも現在の私を馬鹿にするからだと思う。「勘違いすんなよ、ブス」「好きになってもらえるだけマシだろ」「そんなことする人じゃないよ、勘違いなんじゃないの?」「過剰に反応しすぎでしょ」「受け流せてこそ、いい女」とか。セクハラを受けたとき、失礼なことを言われたとき、全く恋愛感情を持ち合わせていない人からしつこいくらい連絡が来たとき、やっとの思いで誰かに相談すると、その度に私は失望した。

今回だってそうだ。「自虐風自慢でしょ」と言われそうだなと、思いながら書いている(女に生まれ、ある程度以上のコミュニケーション能力があり、男性の友達・知り合いが増えると、容姿の優劣関係なしに「こいつくらいなら俺だってヤれるだろ」「いつも挨拶してくれるし、俺のこと好きなんじゃないか?」「彼氏もいなくて寂しいだろうから、俺が相手してやろう」みたいな人が近づいてくるんです)。

女でいる自分にうんざりする。こんなことで悩んでいる自分が馬鹿みたいだ。心配しすぎなのも自意識過剰なのも、よくわかる。けど、「万が一」や「もしも」の場合があって、それは大げさではなく、「恐怖」や「身の危険」がすぐそばにあるのと同じだ。

つくづく、面倒臭い性別に生まれたなと思う。男性も男性でそれなりの悩みはあると思うが、女って嫌だなと心底思う。仕事関係に恋愛感情を持ちこんできたり、あり得ない距離感で接してくる人に会っても、どうしても力では勝てないし何をしてくるかわからないから、面と向かって拒否もできないし、相手が傷つかぬようにやんわりと優しくやり過ごさなければならない。これが、かなり精神的にくる。そして、他に特に方法もない。無力だ。それから、私はもう男性から恋愛感情を向けられるような立場にはいないと思っているのに、その輪の中に無自覚のうちに立ち続けていた自分が、憎くて憎くて嫌いになる。

女友達に話をすると、大体みんな同じような目に遭っていて私たちはいつもお互いに慰め合う。「そうだよね」「辛かったよね」と言いながら。みんな、どうしているんだろう。どうしたら、私たちは上手く切り抜けられるんだろう。ただ、普通に暮らしたいだけなんだけど。女でいる自分を認識するとき、私はいつも無力だと思う。その無力さが、私をいつも少しずつ苦しめるのだ。

Text/あたそ

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