私たちは雰囲気で会話ができている

英語を話す上で、気づいたことはたくさんある。

日本語での会話も同じだが、私は会話のなかで基本的に簡単な単語しか使わないし、話題となる内容も決まっている。話もすべてちゃんと聞いている訳じゃない。どちらかというとどれだけ早く反応できるか? 面白いフレーズを言えるか? で人とコミュニケーションを取っている。だから、英語で会話をする際も、難しい言い回しをするのも、すべて聞き取ることも辞めた。伝えたいことがあるならシンプルでいい。

英語での会話となると、相手の発言の7割程度しか聞き取れないのだが、会話の流れ的にどんなことを言っているのかはわかる、し当たる。英語が全然聞き取れないことが悩みのひとつだったけど、それは居酒屋でべろべろになりながら日本語でクソどうでもいい話をしているときと同じである。大体何を言っているかわからないし、私たちはかなり雰囲気で会話をしている。そう気づいたとき、悩みがどうでもよくなった。

それから、言語は完璧じゃなくてもいいし、間違えてもいいという価値観を得られたのは大きい。会話をすることが目的なので、反応のためのフレーズを増やしまくると結構話は続く。

英語で会話をしていると、「これ、この表現で合っているのかな?」と思いながら発言することが多々あるのだが、割と修正されないし通じることの方が多い。日本で英語を話すと、常に100点じゃなければいけないし、「こいつ、英語で話している癖に間違えている(笑)」と馬鹿にしてくる人が現れるのだが、外国人相手だとそんなことはない。正確な英語であるには越したことはないのだが、とにかく通じればいいという雰囲気がなんとなくある。第二言語として学習した者同士だと、特にその空気を感じる。

話さないよりは間違えてもいいから何かしら発言したほうがいい。間違えることもコミュニケーションのひとつにはなるし、相手は「話を続ける努力をしてくれる人」として認識してくれる。そうすると、好印象を持ってもらえるし、自分自身の勉強にもなる。そして、一層深い会話ができるようになる。結局、人とのコミュニケーションって言語や語彙力だけじゃなくて、表情や価値観・考え方、ボディランゲージ、自分のバックグラウンドに通じる。そういうものを言葉に出来さえすればいいのだと思う。

ビジネスの場、通訳者として活躍する場合はそうはいかないだろうが、私はこうしてなんとなくではあるが少しだけ英語が話せるようになった。特に目的もないしやる気もない割には、上出来なんじゃないか? と思う。

異文化や少数民族、宗教が好きなので、英語が話せると日本語が通じない国の人の話を聞いて、自分の興味関心をさらに広げることができる。単純に今はそれがうれしい。もう少し単語は覚えた方がいいし、表現の幅を広げられたらいいんですけどね。「日本人の割に英語が話せる」という枠組みから離れたい。

英語学習は当分の間続けていくだろうな。やる気も大きな目標もないが、ひとつの目標を達成できたことは私の自信に繋がっている。今は同時進行で韓国語も勉強しているのだが、0から始めたので、かなりつまらないし退屈だ。「勉強してる」感がぬぐえない。韓国語も英語と同じくらい楽しくできるようになればいいのだが……。

Text/あたそ

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