やっぱり四畳半で聴きたくなる吉田拓郎は安心

若かりし頃の拓郎

その点、吉田拓郎にはそういうイメージが全く無い。安心して聴けてしまう。だって、どう考えたってボロアパートの畳部屋でゴロゴロしながら聞くのがぴったしだ。

もちろんベッドじゃなくて敷布団だし、でっかい観葉植物なんて高くて買えないからダイソーで買ってきて大事に育ててきた名前の知らない植物だし、ソファーなんて無いから枕が座布団がわりだ。間接照明なんてもちろん無し、必要性がわからない。お昼ご飯は納豆卵かけご飯で十分だ。
しっくりくる。実にちょうどいい。(多分このイメージは吉田拓郎がまだ「よしだたくろう」だった頃のものである)

そんなこと言ってる場合じゃない、推しは推せるときに推すから楽しいんだ!

そんな吉田拓郎はもうすでに引退宣言を発表している。次に出す予定のアルバムが、予定では最後のものとなる。彼のパートナーである森下愛子はとっくに芸能界から引退しており、2人で終活を始めているのだという……。

私は思った。「時間がない」と。
自分には未分不相応、しっくりこないだとか謎の理由をあれこれつけて興味がないふりをしている場合じゃない。人間には寿命があるんだぞ!
この焦りは昨年志村けんがコロナで亡くなってしまったときにも感じたけれど、7月の吉田拓郎ANNを聞いて私は、さらに焦った。生まれたときから当たり前のように活躍している人は、永久不滅ではないということ。急に亡くなったり引退宣言したりするし、しかもそれが年齢に関係なかったりする。
そういう当たり前なことに、みんなはいつ気付くんだろう? 推しは推せるときに推せって最近聞くけど、とってもわかる。

趣味が欲しいだとか、もっと色んなことに詳しくなりたいだとか、センス良くなりたいだとか、そういう遠い目をしながら嘆く欲望ってあるあるだと思うんだけど、そういうのって手を伸ばすだけで案外すんなり手に入るものだ。手を伸ばすのがめんどくさいだけなのに、私のようにそれっぽい理由をつけて偉そうな顔する人になってはいけない。
気になったらすぐGoogleやYouTubeやSpotifyで調べちゃえば一発。読書だって本さえ開けばあとはどうにかなる。家だと集中できない映画も、映画館で観ればいやでも集中するしかない。お金があれば迷わず買っちゃえ!
しばらくしたら、「趣味が欲しい」「センス良くなりたい」なんて言ってる場合じゃなくなって、時間とお金が無限に欲しくなってるハズ。シティボーイにデキる奴だと思われたいみたいな、他人にどう見られたいなんてことがどれだけくだらないかがわかることだろう。

なんだか30歳が近づいた途端、あれこれ反省するようになってきた。
早速私はこないだ山下達郎の新しく出たレコードを購入。
部屋に好きなものが増えていく様子がすごく心地いいです。

Text/oyumi