さみしいからアピールしてしまう…
代わりのもので“埋め合わせ”する行為が日本では繰り返されている

宮台:アメリカやヨーロッパでFacebook離れが起きたのは、写真のタグ付けとかFacebookで浮気の証拠を握られてしまうなどの実害が大きな原因でした。
日本でも一部がFacebookを離れましたが、実害コストに加えて、日本独特の腐臭が理由です。

 日本では優勢なツイッターでも事情は同じです。浅ましい「俺はすごいアピール」がたくさんあって、見るに耐えません。
そういう浅ましいアピールは見るに耐えないっていう感受性自体は、徐々に広がってきているだろうとは思います。

 ただ、一方で、もともと2ちゃんねるのようなものが発展しやすい、社交文化からかけ離れた土壌があります。
浅ましいアピールを嫌う感受性がどんなに拡がっても、そうした拡がりが及ばない膨大な「釣られ層」が今後も存続するだろうとも思います。

――日本人のそのような層は具体的にいうと、どんなタイプの人々なのでしょうか? またその層はなぜ日本で多くみられるのでしょうか?

宮台:政治学者の丸山眞男によれば、共同体が空洞化すると「釣られ層」「クレージークレーマー層」が増える。
第一の理由は、自分がうまく行っていないとか認められていないという鬱屈。オフラインでうまくいかない人生を、オンラインで埋め合わせるのです。

 第二の理由は、「そんな浅ましいアピールをするとこんなふうに思われちゃうぞ」と忠言する友達がいないということです。
だから馬鹿だと思われていることに気付かない。気付いたとしても、欠落を埋め合わせたいという気持ちが強すぎて、我慢できないんですね。

 こうした「埋め合わせ動機」は宗教社会学で古くから注目されてきました。
現実社会でうまく地位達成できない人が、宗教教団で代替的な地位達成をしようとする営みです。現実社会で承認を獲得できない人が、宗教教団で代替的な承認を獲得しようとします。

 日本では社会文化の伝統がないので、周囲からは「埋め合わせ動機」がバレバレなのに、本人が気付かないというケースが多いようです。
だから、浅ましいアピールが周囲に腐臭を漂わせまくるという日本的状況が展開するのだと思います。

 だから日本にはステイタス・サブスティチューション(地位代替=埋め合わせ)が到るところに見られます。
1960年代末から性的解放が進むと、「白いお城と花咲く野原」的なロマンチックな繭に籠る「乙女ちっく文化」が展開しました。これも地位代替の典型です。

 1970年代末からナンパ・コンパ・紹介的なデートカルチャーが上昇すると、デートカルチャーに参入できない若者が「オタクのうんちく競争」で上昇しようという動きを見せました。これも地位代替の典型です。

 1990年代半ばには援交ブームやコギャルブームが盛り上がりましたが、これに参入できない少女たちが篠原ともえ的な「不思議ちゃんブーム」を盛り上げました。
これも地位代替の典型だと言えます。日本ではこうした地位代替が何度も繰り返されてきました。

 繰り返し起こるたびに、「これは埋め合わせだ」という指摘が一部先端層からなされてきました。
オタクについては、1983年に『漫画ブリッコ』の連載を担当する中森明夫が、埋め合わせの揶揄という文脈で、オタクという言葉を発明したのが、有名でしょう。

 でも、インターネットは、「見たいものしか見ない、見たくないものから目を背けるコミュニケーション」です。
浅ましい「自分はすごいアピール」が漂わせる腐臭はうんざりだ、という指摘が、視界に入ったとしても一瞬後には見なかったことにされるでしょう。

宮台真司
社会学者。首都大学東京都市教養学部教授。東京大学助手、首都大学東京准教授を経て現職。専門は社会システム論。近著に『日本の難点』(幻冬舎)、『きみがモテれば社会は変わる。』(イースト・プレス)など。
ツイッター:@miyadai

 代わりのものでさみしさを“埋め合わせ”する行為というのは、どんな人も身に覚えがあるのではないでしょうか。 現在進行形で「自分イケてるぞアピール」をしている人を見かけたら、ぜひこちらの記事のURLを紹介してあげてください。次回以降は、恋愛に関することにも迫っていきます! 

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Text/AM編集部